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航空管制の歴史

この論考は、昨年にnoteにあげたものであるが、アカウントの削除によるリセットを実施したため、ここに再度掲載する。なお、再掲するにあたって一部内容の削除・追加をしたりしている。


第1章 草創期

第1節 FLAG MANについて

 1910年代に出現し(航空交通管制協会 2016:5; 坂場 2002:194)、アメリカ合衆国で特に「フラッグマン」として1920年代に点在していた(齋藤 2007:344; 中野 2001:4)。フラッグマンは常に滑走開始地点に駐在し、「進行」の意味を持つ旗と「とまれ」の旗を用いて交通整理を行いつつ、風向きも知らせていた(藤石 2017:2)。

第2節 ライトガンと無線機の歴史

ライトガンが登場したのが1920年後半であり(齋藤 2007:344)、日本においては関東大震災による情報途絶による放送実現の高まりを受けて、NHKなどのラジオが開始された時代でもある(日本ラジオ博物館HP)。一方、航空管制における無線機の使用は1930年代であり、1930年にアメリカ・クリーブランド空港にて、世界で初めても使用され(齋藤 2007:344)、多数の航空機に対し効率よく指示を与えることが可能となった(齋藤 2007:345)。
なお、航空機における無線の活用は1928年に、レンジビーコンが開発されたことで航空機は天候に左右されることなく飛行できるようになったのである(坂場 2002:194)。

第2章 発展期

第1節 戦前日本の航空業界と管制

後日追加予定

第2節 戦中日本の航空管制

旧日本軍では、特に陸軍において1930年後半に飛行を主な業務とする部隊と、航空機の整備などの後方支援に回る部隊に分離する「空地分離方式」が採られるようになった(Wikipedia 2020a)。一方で、日本海軍は終戦間際の1944年に空地分離方式が導入された。これは、敗色が濃くなっている中で勝利には多くの人員を投入したい気持ちが強く、空地分離に反対の声が大きかったからである(Wikipedia 2021a)。しかし、最終的には導入され結果的に効率性の面から成功した。そういった整備等の部隊は「海軍乙航空隊」と通称で呼ばれた(Wikipedia 2018)。また、無線機に関しては少なくとも「三六式無線機」(当時世界最高の機能)が日露戦争の時には使用されていた。当時は編隊長機のみだったが、後に全機に搭載されることとなった。戦時中はレーダーが発達しており、本土防空戦では迎撃機まで誘導できるレベルであったが、無線のノイズはかなり大きかった(知恵袋 2021)。
民間においては日露戦争後、郵便物の貨物輸送を中心とし、1926年からは旅客輸送も始まった。政府はその育成のために行政機関の設置や航空法の制定、航空無線などの整備も急速にすすめられた(酒井 2010:93-6)。
以上から、地上と空中の連絡は昔から可能でありレーダーも存在したが、無線標識による飛行は未発達であった。

第3節 航空路はいつからあったのか?

世界における無線航法システムの開発は、1928年に指向性無線航空路標識(NRB)の導入することで海を渡る際に電波が強い方向へ航空機が向かい、目的地へ行くことを可能にした(齋藤 2007:345)。1933年時点には18000マイルの航空路があり、60の航空灯台や5局の指向性無線標識、数局のマーカービーコンがあったので昼夜、天候に問わず航空機は飛行することができるようになった。この制度の構築によって航空交通量が増大し、運航経験を基礎に1935年、ニューアークに管制所が設置された(武藤 1990:3-4)。すなわち、航空路は空港から離れて飛行中の航空機の衝突リスクを避けることに大きな必要性を有した(齋藤 2007:347; 阿施 1997:18-20)。

第4節 管制間隔について

垂直間隔が1000FTになった経緯については1920年代後半から30年代前半のアメリカで、自社の航空機とのみ連絡していたが、運行管理における衝突防止能力には限界があったため、航空会社は民間航空局に飛行経路と高度の指示により安全を確保することを求めた。しかし、当局には予算がなかったため、局の与える権限の下でエンルートATCを行う旨の要請をし、航空会社間の協議の結果1000FTでまとまったのが、現在でも用いられている(武藤 1990:4)。他にも管制間隔には「目視間隔」と言うのがあり、対象物を見つけ見届けるだけでなく、その安全を担保することも含まれることを指す(タワーマンTV 2016)。

第5節 紙のストリップ(運航票)について

パイロットへの指示、他の管制官との調整事項などの必要な情報について記入するものであり、地点略号や航空路名のほかに様々な記号を用いることで航空機の状態や飛行方向をイメージすることができるのだ。さらに、記入することによって他の管制官に注意を促す一助や記憶の補助にもなる(青山 2012:1058)。ストリップの記入が義務付けられているのは管制官の時は国交大臣と同等の効力を有するため、運航票は正式な公文書になるのだ(タワーマンTV 2018)。実際には縦2.5cm横20.5cmの通過用と出発機用の運航票を用いて運用し、その方向によって異なる色の紙が用いられる(福島ほか 2004)。また、運航票に管制承認の内容を記入するなどである(齋藤 2007:358-9)。

第6節 ジェット化の経緯と日本航空業界の交錯

1960年代以前のACCは米軍が担当していた。実際、羽田空港の飛行場管制は1958年7月に日本に移管され、いわゆる航空路管制が日本によって行われるようになったのは1959年7月朔日からのことである。日本移管後はジェット機の導入に対応するため、「ジェット・ルート」と呼ばれる従来の航空路と別の航空路を設定し、高高度管制が1962年から開始された(齋藤 2007:346-7)。当時の日本国内では、国民所得倍増計画をはじめとした高度経済成長・オリンピックの開催も重なり、航空需要は飛躍的に増加していた。また、全日空が幹線進出したことによって日本航空と競合するようになり、航空市場を活性化させる結果に至った。しかし、これらの外的要因から日本国内における航空秩序の再編が迫られ、運輸省は企業の系列化を奨励し日本航空・全日空・日本国内航空の3社体制となった(酒井 2011:79-81)。ジェット機への移行が促進されたのはアメリカ空軍が開発した高ハイパス比ターボジェットエンジンによって燃料消費率は大きく向上し、原価価格が安価による経済成長、さらに燃料費の低下で運航経費を下げられたといった要因が相まった結果のものだ。ところが、新型機が投入されたも事故率が低下することはなく、グランドキャニオン空中衝突事故・全日空機雫石衝突事故の発生により世界の空港にレーダーが拡充され、空中衝突の危険性は大幅に改善された。また、テネリフェの事故をきっかけにクルー・リソース・マネジメントが行われるようになり、事故件数は以後、減少していくこととなった(Wikipedia 2020b)。

第3章 進化期

第1節 羽田空港レーダーの考察とSSR導入時期

羽田空港のASRレーダー(航空保安施設)の更新は確かに『空港整備五(七)計画』に基づき、日本の主導によって実施されている(国土交通省 2002; 酒井 2011:84; 齋藤 2007:348)。当時は、東京五輪の開催が目と鼻の先にあったことから、国家の威信をかけた事業であり、羽田空港の交通容量ひっ迫という問題を改善すべくA滑走路の延長・C滑走路の新設が1964年4月にでき、かろうじて間に合ったのである(酒井 2011:84)。ただし、SSRが日本に導入された時期などは調べたところでは出てこなかったが、その手掛かりになりそうな文献を発見したので紹介しようと思う。菅原ほか(2011)によると、『1960年代前半から航空交通量増加の兆しが見られ,主官庁により国内航空管制レーダー網の段階的整備が策定された。SSRは先行他社が多かったことからJRCは参入を断念した。』と述べている。ところが主要空港にASRを設置する際、いずれもSSRも併設されていた(赤尾 1979:555)。

第2節 敵味方識別装置の応用(Wikipedia 2020)

この技術を応用させて完成したのが空中衝突防止装置(TCAS)だ。無論、二次レーダーの基礎技術でもある。

第3節 日本人航空管制官の養成

日本人で日本の空を守るために、昭和25(1950)年、3人の日本人が日本人初の航空管制官になるべく、アメリカ連邦航空局訓練センターに派遣され、技能資格を取得して帰国後は訓練用教材を作成し、昭和27(1952)年には教官として航空管制官1期生を育てた。昭和26(1951)年にサンフランシスコ講和条約が調印された後も、航空管制は引き続き米軍によって行われていたが,1954年には航空管制官の公募・採用が開始された。翌55年、宮崎空港を皮切りに各地の空港の管制業務が日本に移管された。航空路の管制業務も米軍から引き継ぐため、多くの日本人が資格取得のための厳しい訓練に汗を流し、昭和34(1959)年、運輸省航空交通管制本部が発足した(国土交通省 2015:17; 齋藤 2007:344)。ここでいう各地の空港とは、八尾の空港(ここは民間の自主管制のために宮崎空港と同じく人材が派遣された飛行場の一。)や1957年に管制業務が日本に移管された伊丹空港、翌年の羽田空港での日本移管が挙げられる(齋藤 2007:346-7)。したがって、日本人の航空管制官は小人数であったものの、割合はほとんどと言ってよいと思う。

第4節 箱根レーダーが設置された理由

1966年に起きた3事故、①全日空羽田沖墜落事故 ②カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故 ③英国海外航空機空中分解事故によってそれぞれの原因は管制システムによるものではなかったが、あり方が大きく問われることとなり、その年の10月の航空審議会の答申に基づき第一次空港整備5か年計画が策定され、主要な7つの対策の一環として箱根に初めてARSR(=航空路監視レーダー)を建設することとなった(齋藤 2007:348-9)。

第5節 VORの特徴と導入における社会的要因

上述の事故を受けて策定された計画の一環として、VOR(=超短波全方向式無線施設)が全国17か所に設置されるに至った(齋藤 2007:349)。しかし、実際のVORの導入はこれよりも前に検討されており、そのきっかけは1958年の伊豆下田沖墜落事故によるもので、航空の安全対策を確立すべく航空審議会の答申がなされ、そこにVORの設置が薦められた(酒井 2010:124)。
そもそも、VORの大きな長所としては偏流や空電の影響を減らせるため、航空機の機軸に関わらず絶対的な方位を知ることができる点である一方で、超短波であるため設置しても見通し距離内に限定されてしまうのが難点である(広瀬 1969)。現在では、とりわけ空港においては、TVORを用いて空港周辺の建築物による反射電波の影響を低減している(航空実用辞典 1997)。

第6節 ARTSの導入時期

1976年に羽田空港の運用開始を皮切りに、大阪国際空港・名古屋・福岡・鹿児島・宮崎にも整備された。翌年には航空路管制業務の安全性と効率性を向上すべく東京と那覇の、78年には各航空交通管制部にRDPが設置され、ARTSと結ぶことで情報の自動交換を可能にした。(齋藤 2007:350-1)。

第7節 DME導入時期とその数量

第一次空港整備五か年計画(昭和42~45年―1968年から70年)では答申内容にDMEが含まれていなかったが、政府は釧路や千歳など10か所にVORととともに新設されたことを機に、第二次同計画では全国展開を果たすことなった。第三次同計画では全国に整備されたVOR/DMEを活用するため航空路の整備がなされた(国土交通省 2002)。

第8節 ILSのカテゴリーと導入時期等

ILSにはカテゴリーがあり、カテゴリーⅠの場合はDH200ft以上、滑走路視距離550m以上(または視程800m以上)、カテゴリーⅡの場合はDH100ft以上200ft未満、滑走路視距離350m以上、カテゴリーⅢAの場合はDH100ft未満または設定なし、滑走路視距離250m以上、カテゴリーⅢBの場合はDH50ft未満または設定なし、滑走路視距離50m以上200m未満という風に定められている。尚、DHは決心高度(=Decision Height)と呼ばれ、地表からの高度となる。そのため、視距離が短くかつDHが低ければぎりぎりまで判断を待つことが可能なのである(井上 2018)。 ILSが導入されたのは第一次空港整備五(七)計画で千歳に新設され、第三次および第四次同計画でILSと航空灯火の整備が全国で実施されたのである(国土交通省 2002)。

第4章 変革期

第1節 航空機事故の件数減少とヒューマンエラー

航空機事故はとりわけ1970年代、航空保安施設など設備そのものを更新・新設したことなどで格段に減少しており、渡辺(2005)に掲載されているグラフからもそれが読み取れる。近年では航空交通量が年々増加しつつも、事故件数は減少傾向を示している(運輸安全委員会 2021)。そもそも事故をなくすには、ハインリッヒの法則を断ち切るための安全対策やヒューマンエラー防止に努める必要性がある(渡辺 2005:25)。ここではヒューマンエラーについて焦点を当ててみよう。そもそもヒューマンエラーを根絶することは不可能な話であり、いかに減少させるかの努力が要求されることとなる。そこで登場した安全概念がCRM・TRMである。CRMとは、コミュニケーションやチームワークを向上させヒューマンエラーを防ぎ、チームの業務遂行能力を向上してゆくことを目的としてつくられたものである。誕生するに至ったのは、1976年のNASAの実験で36組のうち、チームワークなどがあれば生還が可能な実験で生還できたのはわずか1組であったことから、チームワークを高める必要性が強く示されたのである。1980年代より訓練として登場し第6世代に至るまでに無数の改善工夫が行われ、パイロット以外にも客室乗務員や整備士にも拡充されている。尚、日本では1998年から義務付けられており、現在では海運界や医療界でも採用されている(重松 2009:3-4)。一方でTRMとは、エラーの原因を知ることを目的としている。これはCRMを実施したとしてもその原因を認知しなければ、何ら改善にはつながらないからである。TRMの概念は「スレット」「エラー」「好ましくない状態(UAS)」という3つに原因を分類し、この順番通りにすべて失敗することで事故が発生するというものである。そのため、それらを認知することができれば事故を防止する機会になるのである。現代ではTRMを目的として、CRMはそれを実現するための手段となっている(重松 2009:4-6)。無論パイロットの場合、操縦慣れのために起きる事故もあるため機械・技術的面からヒューマンエラーを防止できるようにする必要がある(黒田 1971:249)。

第2節 ARSRについて

ARSRとは国土交通省(2021a)によると、『電波を用いて航空機の位置を検出する他、信号の送受信を行うことにより、飛行中の航空機の高度や識別番号などの情報を取得する。これらの取得した情報は、専用通信ネットワークによりレーダー施設から航空交通管制部へと伝送され、管制官はこの情報を用いて、航空機の誘導及び航空機相互間の間隔設定等の航空路管制業務を行う。ARSR、ORSR共に半径250NM(約460km)の空域をカバーしている。』と説明している。ORSRは特に洋上の航空路を監視するのを目的としたレーダーである。このレーダーができたのは「ARSR-1」として1950年代に導入され、電波範囲は320kmである。その次に誕生したARSR-2 は初代とは見た目も機能もあまり変わらないが精度は向上した。これら2つの型式は2015年終わりまでに「CARSR」に置換されていった。その後は新型機ARSR-3 はウェスティングハウスによって製造され、3Dレーダーとなった。これは航空機の影が立体化したのではなく、全体の空間が立体化したものと思われる。なお、このレーダーの用途はFAAのJSS(=Joint Surveillance Radar)で用いられるようになった。現在最新機であるARSR-4 は同社機がJSSのために90年代に3DASRとして開発されたものである(Wikipedia 2021)。日本で初めて導入されたのは、1965年設置の箱根であり、その後は1969年から71年までに三郡山(福岡県)に設置されるなど空整計画を通して次第に普及していった(国土交通省 2002; 齋藤 2007:348-9)。

第3節 ATFM(=「交通流制御」)の登場

拡大を続ける航空需要に対処し、航空機運航者が予定する出発・到着時刻と希望する飛行経路・高度で飛行することを、最低限の制約で安全を損なうことなく可能とするためにICAOが構想したCNS/ATM構想(国土交通省 2021b)の一環で1994年に福岡ACCに設置されたのがATMC―航空交通管理センターである。その業務内容の1つにATFM(=航空交通流管理)がある(航空交通管理センター 2021; 齋藤 2007:351)。ただ、Wikipedia(2021b)や国土交通省(2021c)によれば、それぞれ2005、2006年に当機関が設立されたとしているので、詳細は不明のままである。特定の空域や空港において、航空管制官が処理できる容量を超えた交通量とならないように、あえて航空機を遅延させたり、代替の航路調整、訓練空域の活用、時刻や速度の指定を行うなどして経済的な運航を実現することを目的としている(齋藤 2007:351)。自衛隊の訓練空域を活用する場合もあるため、自衛官は航空交通管理センターに派遣されて空域調整官と交通流制御の業務に従事する(内閣府 2009)。特にここでは一般的に知られている出発時刻について論じる。出発制御の発出を行うのはATMセンターの管理管制官が空域と空港における交通量予測を行い、それらと気象情報を考慮した処理能力を比較して、処理容量を超過すると判断した場合には、出発制御時間(EDST)を算出し対象の航空機を出発空港に待機させるのだ(三村ほか 2010)。近年の遅延時間はおおよそ9分である(坂野 2016:8)。日本国内であれば、先に方法を採用することで運用することが可能であるが国際線の場合はどうなるのだろうか。無論、交通流制御を国際線の航空機に実行することができないため、羽田空港の場合では、先着順に優先順位が決定し進入できない機体に関しては、ターミナル空域内においてレーダー誘導や速度調整、待機旋回などで時間調整を行う。しかし、その空域内でも時間調整に困難がある場合には、航空交通管制部に業務依頼をして調整を行う(福田ほか 2001)。問題点は、管理管制官の判断で出発時間の制御を行った結果によっては、むしろ滑走路を使用しない時間ができ効率性を下げることになる可能性があるため、それを防止する必要性がある(三村ほか 2010; 福田 2000:124)。また、想定される状況として、2025年には平均遅延時間が25分を超える見込みであり、特に夏休みなどの繁忙期では悪天がなくとも最低30分の遅延が予想される。国内線では機材不足が発生し、ダイヤ上の運行さえも困難になり欠航が相次ぐとされている(坂野 2016)。

第5章 再改革期(現在)

第1節 GPSの基礎知識と航空界での利活用

GNSSの歴史については別記事で詳しく説明するつもりである。まずは基礎知識を抑えておく。そもそも衛星測位システムのことを「NSS」と呼び、そのうち地球全体を測位できるものを「GNSS」、特定地域のみ測位できるものを「RNSS」と言う(利水社 2017)。GNSSの1つであるGPS(国土交通省 2016)の歴史としては1973年にアメリカが軍事目的にGNSSの開発を開始したが、10年後の大韓航空撃墜事件を受けて、その月に民間航空での利用可能にする旨を宣言した。その後、米国は国際社会においても利用可能とすることを表明した。1991年から初期運用が始まり、95年に全面の運用を開始した。2001年、ICAOは国際基準にGNSSを規定し、今に至っている(総務省 2016)。GNSSの測位方法には2つあり、①カーナビに多く用いられる単独測位、②測量に多く用いられる相対測位がある。①の場合は衛星がその対象に対してのみ電波の送受信(?)を行うため、10m程度の誤差が発生するが十分な精度である。②の場合は特に測量の場合はより精密な必要であるため、測量機器と基準点に対して電波を送受信して、距離とその方向を割り出す(宮川 2012)。では航空機はどのようにGPSを活用しているのだろうか。国土交通省(2016)によれば『無線施設からの電波の受信又は慣性航法装置の利用により任意の経路を飛行する方式による飛行を可能にする航法システム』と決められており、そのうちRNPシステムは『機上での性能監視及び警報機能を提供するRNAV システム』としている。GPSのみに依存する点は共通しているがRNAVとRNPの大きな違いは管制官によるレーダー監視の有無であり、RNAVの場合はレーダー監視するのに対して、RNPではそれを行わない。代わりに、機上監視警報機能を用いるなど多数の要件を満たす必要がある(コロ助 2021)。詳しい要件は国土交通省(2016)や国土交通省航空局管制保安部航空衛星・ATMセンター準備室(2003)を参照してほしい。この航法を航空路に採用することによって、飛行時間を短縮することができ結果的には燃料費を節約することができ、環境対策面では大きな貢献となる。また、他の航法と異なり精度が高いため、航路を従来以上に設定でき空の混雑を緩和できる可能性がある(野口 2008)。尚、航空路におけるRNAV経路名は国際経路ではL,M,N,Pのうちの1文字に1から999の数字を合わせたものとなる。日本国内では、Q,T,Y,Zのアルファベット1文字に1~999の数字を合わせたものとなっている(Wikipedia 2021)。

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第1章

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第3章

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第4章

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第5章

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総務省, 2016『地上型衛星航法補強システムの概要』情報通信審議会 情報通信技術分科会 航空・海上無線通信委員会(第20回)
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