暴力考(身体的暴力編)

暴力にも色々な色があるので、今回は身体的暴力にできるだけ絞って書きます。

僕は暴力の中で育ちました。母によく、「1年365日でお前の泣かない日を数えたほうが早い」と言われていました。逆に言うと、1年365日で母が暴力を振るわない日を数えたほうが早かったのです。

ここで具体的に全部挙げていく事は、思い出して僕が疲弊してしまうので、概要だけで端折りますが、最初は殴ったり蹴ったりつねったりの、母の身体を使っての暴力でした。その内に、母は「叩いてるほうの手も痛いんだ」と言いながら物を使っての暴力になりました。最終的には包丁を持って追いかけ回されたり、投げつけてきたり、首筋にあてられて「切れるんだぞ」と脅されるようになります。そういう事があり、未だに包丁を僕は扱えません。

今でこそ、振り返れば、異常な毎日だったと思いますが、幼い頃は、その日常が普通だったのです。本当に毎日毎日、母の気分で、殴られ蹴られ、寝てる時も、母が過去の事を思い出してイライラしてくると、僕の足を引きずって、寝ぼけてる状態の僕を階段から突き落としたりしてたので、安心して眠ることもままなりませんでした。14歳頃から実家で一人暮らしみたいな生活で、17歳で他県へ逃げ、完全な一人暮らしを始めたのですが、誰にも邪魔されず、睡眠を取れるのは凄くいいと感じました。

母は母の精神状態が不安定になってくると、下唇を噛む癖がありまして、それを見たら、そ~っと、その場から離れようと試みるのですが、大体、うまくいかず、捕まって暴力を受けていました。

あと、ほぼ毎日、暴力を受けていたので、多少の痛みなら、僕は痛みをコントロールできるのです。方法としては、暴力を受ける直前に、僕自身を興奮状態に持っていくのです。だから、「う゛~、う゛~」と唸っていました。今思うと、それが余計に母を苛立たせていたのかもしれません。しかしこれは、息ができない苦しさだけは解決しないのです。浴槽や便器に顔を沈められたり、洗濯物などの衣服を口に詰められたり、プロレスの技みたいなのをかけられてる時は、息ができずとても苦痛でした。

更に僕は幼い頃から、自分がハッキリしてる人で、「ふざけんな、このやろう、いつか同じ目に合わせてやるからな」みたいな事を言いながら、母に激しく抵抗していました。振り返ると、それは母を逆上させるだけだったなと思っています。

色々と思い出しながら書いていたら、疲れてきちゃったので、次の話に移りたいと思います。笑

僕が思うに、暴力は相手の魂を削っていくと感じます。そして、暴力からは、建設的な事は殆ど生まれないと思います。具体的には、暴力は受け続けてるほうが、疲弊してくるし、萎縮してきちゃうんだと思います。最終的には相手の魂を殺してしまうんだと思うのです。

かれこれ、15年間くらい暴力のシャワーを浴び続けた僕は、その後、精神疾患になり、ずっと未だに精神科のお世話になっています。ただ、僕は他の多くの病んでるかたと違い、とても幸運な事が20歳過ぎに起きます。親代わりの人と出会った事です。そうは言っても、20歳過ぎからも激しく心は不安定なままで、ようやく数年前くらいから、多少の安定をしてくるようになりました。

親代わりの人は、親みたいな人ですから、日々の衝突などもあり、色々ありますが、突き詰めると感謝しかありません。笑 僕は母に魂を殺されましたが、親代わりの人に魂を救われたのです。僕の総合運は限りなく悪いですが、とどめを刺されるほど悪くないという、自負があります。そこは凄く自信を持っています。

今回は身体的暴力に絞って書きましたが、暴力は百害あって一利なしだと思います。実体験を通して、人を殺すのも人だと思いますが、人を救うのも人だと思っています。

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