精神科入院考

はじめに

幻聴や妄想もあった為、当時の時系列は正確ではないと思いますが、多分、当時の日記を見る限り2012年6月23日~27日にかけて、精神病で初回入院をしております。その後、同年9月頃に2回目の再入院をすることになります。下記の文章は初回入院から退院した6月30日に書いた日記になります。当時、自分が書いた文章にスペルチェックをかけ、固有名詞を伏せていますが、内容はそのままです。


僕の通院している大学病院は、ほぼ毎年精神科の主治医が、年度毎に変わります。

そして今年度も4月に入り、主治医が変わりました。 

今年度の主治医(7人目)は、2回目の診察(5月の連休明け)辺りに、2人目~6人目の薬減量方針により、5,6人目の頃から悪化してしまったと。 

だから、自分は薬増量方針でいくので、今までの隔週から毎週来て欲しい、うまく移行できないと、より悪化すると。


新しい主治医になり、どんな主治医なのか不安でした。 

いきなりの方針転換に戸惑いました。 

ただでさえ、脳の伝達物質を弄る薬なので、精神科の薬は少なくとも僕には、どんな薬でも副作用が必ず出ます。 

それを短期間でコロコロ変えていかれる、副作用への恐怖感。 

以前より、悪くなったとか悪くなるとかの発言で、ただでさえ先の見えない自身が、どうなっていくのかという恐怖や不安。 

そんな事が重なり主治医に対する不信感。 

基本、大学病院なので主治医は割り振りで、こちらからは選べません。


僕を搬送してくれた友人は、子供の頃、外で遊んでいた時に、足を滑らせ後頭部を打ち、3日間意識不明の後に意識が戻りましたが、脳に異常が見つかり、薬を飲んで散らせている状態です。 

友人は物理的ダメージにより、僕は最終的なトリガーは、物理的なダメージではないとは思いますが、お互いケースも症状も違いますが…。 

友人のほうが投薬歴は僕より7,8年位長く、1日3回の薬を飲むと必ず眠くなってしまい、眠ってしまいます。 

僕はまだ母という憎き対象がいるだけでもいい、友人は自身が足を滑らせてという、どこにも怒りや憤りを向けられないまま、僕とは違う大学病院へ通院しています。


入院して医師や看護師について感じた事、色々あります。 

大学病院なので研究機関でもあります。 

入院すると今までの生い立ちや生育歴、学歴、病歴など根掘り葉掘り聞かれます。 

入院する位の人達ですから、心に深い傷があるのです。

二度と思い出したくない事や、言いたくない事だってある。

僕はまだ30代ですが、入院している75歳のおじいさんが、「10もいったかいかないか位の頃に、戦争で両親や兄弟を亡くし、努力という文字だけを胸に、1から築きあげてきたこの人生を、こんな2,30代の若造達に、俺の気持ちのなにがわかるのだ。」と、涙ぐみながら僕に吐露してきました。


その事象が起きた時、皆傷つき、それぞれがそれを誤魔化したり、無い事にしたり、色々意識無意識に模索したけども、結局どうにもならずに、自身の脳内回路を狂わすことでなんとか保っている。

それを、その事象が起きた時に近い状態に、回想させるという苦痛。

確かに、今後、僕らのような人達を楽にする為には、仕組みが理解できないといけないのかもしれない。

しかし、僕らは機械ではない。

狂っていても人なのです。

苦痛をできるだけ取り払うのが医療だとしたら、精神病患者には二重苦三重苦を与えてもいいのか。


ある人の人生は、他の誰しもが、一刀両断に捌けるものではない。

ある人の人生は、その人の人生であって、その人生に可も否もない。

ある人の人生は、その人だけの不可侵領域なのだ。

だから皆、それぞれの人生に敬意を払わなければならないのだ。


好奇の目で見る医師、人として見てないような医師、気の弱い患者に威圧的な看護師、さも他の業種と同じような、作業のような感じで扱う看護師など。

そんな人達は、少なくとも精神科の医療従事者としてはいらない、他の科へいってください。

精神科は心が傷ついた人が来るのに、更に心が傷つけられるという矛盾。


親代わりの片方が仮説を立てた。

僕が仮に病気だとしたら、それはみつや病とか統合失調症みつや型であると。

本当、そうだと思う。

彼らに僕らの、なにがわかる、なにがわかる、なにがわかる、と。


ある事象で誰かがつらいと言った。

しかし、その事象では他の誰しもはつらくない。

だけど、その誰かにとってはつらいことなのだ。

人間個体差がある。

当然、得意不得意もあるし、耐ストレスに対してだって個体差がある。


過去の闘争の影響もあり、入院していた大学病院は他の病院より緩やかな病院らしい。

いい歳をした人間が、簡易トイレで用をたす。

数十分置きに、様子を見に来る。

患者の生命を守る為とはいえ、患者にはプライバシーがないのだ。


日本の刑務所には、カンカン踊りというものがある。

インテリの政治犯などは、それに耐えられなくて自殺する人もいる。

もっと、精神病院も刑務所なども、人権というか人の尊厳について考えて欲しいと思う。

医師や看護師など、彼らが逆の立場だったら耐えられるのか聞きたい。

もっと、人の気持ちに寄り添った、医療を展開して欲しいと思う。


僕らは薬が欲しいのではない。

心の癒やしが欲しいのだ。


最後に、入院していた大学病院精神科のほとんどの、医師や看護師などの医療スタッフは、患者の目線である事を付け加えておきます。

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