怠惰な人が許容される社会
またまた、DaiGoさんの騒動の話です。DaiGoさんが集中砲火を浴びていたので、危機感を感じ、前回、前々回とDaiGoさん視点の内容を書きました。なので、今回は炊き出しに並んでるおじちゃん達視点で書こうと思います。
怠けてる人は好きですか? 怠けてる人は大きく2種いると思います。一つは、本人が本当に怠けてる人。もう一つは、他人から見て、怠けてるように感じる、または見える人。今回の、ホームレスや生活保護受給者に対する、一般層のイメージは前者が多いのかもと思いますが、実際に炊き出しなどに参加すると、並んでいる多くのかたは後者か、後者ですらない人達なんだと感じます。そして、更に言うと、おじちゃん達は必死に生きてきたのです。
僕は精神障害者でひきこもりなんですけど、かれこれ10年くらい前に、2度、原因不明で死にかけました。2回目の時は、ICUに数日間ほど入っていたようで、その後、意識が戻ってきて、倒れた時に肺炎を併発しており、強い薬を飲まないとならなく、その副作用で死ぬことがあったみたいで、意識が朦朧とする中、死んでも文句言わないみたいな内容に署名をして薬を飲み、幸い副作用なく助かりました。
その2度死にかけた出来事が、僕の様々な意識を180度変えまして、1年後くらいから、就労支援事業所という所へ通うことになります。結局、そこは僕の肌に合わなくて1年ちょっとで退所することになるのですが、2人ほど、仲良くなった職員さんがいるのです。その片方のかたが時折言っていたのが、「〇〇さん(僕)は頑張っているから評価している」、みたいなことを言ってたんです。それについて、僕は凄い違和感を感じていました。そのかたに「頑張ってるように見えなかったら、どう接していたんだろう?」、「怠けてたらダメなの?」と。ただ、他の部分では波長が合うかたですし、今も関わっています。
今後、別のnoteにも書こうと思っているのですが、条件付きの抱き合わせ支援というのは、良くないんじゃないかと感じています。それは、僕の主たる属性である、精神障害者やひきこもりもそうですし、炊き出しに並ぶ、ホームレスや生活保護受給者に対してもです。支援される側が支援する側の条件をクリアーできる、或いはクリアーできる見込みだから支援しますというのは、何か変に感じます。敢えて支援される側を分ける必要はなく、どんな状況や立場の人でも、支援して欲しいと思います。もちろん、置かれている状況や立場によって、支援内容がその人ごとに変わるのは、当然かと思います。支援される側なのに偉そうですかね?笑
本人が本当に怠けてる人。他人から見て、怠けてるように感じる、または見える人。どうだろうと、支援して欲しいと思いますし、僕はおじちゃん達を支援していきます。日本は近年になればなるほど、他人に厳しい社会に感じます。自分にとっての他人から見た、自分はまた他人であり、他人に厳しい社会というのは、廻り巡って自分に厳しい社会でもあるのです。僕は未だ、僅かなお金しか稼げないので、他人に優しい社会のほうが生きやすいです。笑 他人に優しい社会にしていくには、時に他人を赦すことができないとなりません。DaiGoさんの発言もそうだと思います。DaiGoさんの発言は受け容れられないが、DaiGoさん自身は赦すということです。誰もが誰もを赦せないから、どんどん他人に厳しい社会になってきてるんだと思います。それは、多くの人にとって生きやすい社会なのでしょうか?
まあ、口で言うのは簡単ですが、僕もなかなか赦せてはいません。笑 僕は母から毎日のように虐待を受けて育ちました。多分、それが原因で精神科に通い始めてからのカウントでも、今年で四半世紀経ちました。苦しい毎日でしたし、今も苦しさはかなり残っています。でも、母か僕のどちらかが先に死ぬまでには、一定の決着がつけれたらいいなと思っています。ただ、身に沁みて感じてることは、相手にネガティブな感情をぶつけても、また相手もネガティブな感情しか抱きません。多くの人が、DaiGoさんにぶつけてる感情はネガティブです。そこから、DaiGoさんもネガティブな感情を抱いていると思います。
おじちゃん達と僕は同根なんです。おじちゃん達と僕は紙一重なんです。ただ、ほんのちょっとだけ僕のほうが運が良かった、それだけ。だけど、そのちょっとの差が、支援される側と支援する側に、分かれてるだけなんです。だから、僕にとっては、おじちゃん達は他人事ではないのです。おじちゃん達をケアすることは、僕をケアすることに繋がってるのです。おじちゃん達が赦せない。言い換えると、怠けてる人が赦せない。そして、自分自身も怠けられない状況に陥っている。自分達で自分達を絞め上げてる。誤解なく伝えたいですが、多くのおじちゃん達は成るべくして成っています。その状態になってしまう要素を抱えていて、運悪く本当にそうなっちゃってるのですが、もちろん本人達は望んでいた訳ではありません。本人達なりに必死に生きてきたんだけど、そうなってしまったのです。おじちゃん達と、おじちゃん達と同じような要素を抱えている僕は何が違うのか? 運なんです。僕は20歳頃と25歳頃に親代わりのかたに2人出会ってるのです。振り返るとそれが大きかったのです。運が良かっただけの僕には、おじちゃん達を責め立てることはできません。
怠惰な人が許容される社会になったとしたら、他人を赦し、他人に優しい社会になって、思うように生きれない人達が、今よりは楽に生きれるようになると思います。それは、もっと余裕を持って生きれてる人達も、更に楽になっていくのではないかと思います。