DaiGoさんの騒動に感じること
先日の、ホームレスや生活保護受給者に対する発言で、DaiGoさんは大変なことになっていますね。僕には、抱樸が間に入って、事態の収拾を図ろうとしてたように感じました。僕は、抱樸は懐が深いなと感じました。だけど、騒動が上手く収まらず、広がりを見せているように感じます。この話を大事にしたい人達は、何の目的でやってるんでしょうか。
DaiGoさんの発言の動画を見ましたが、心が冷たい人だなと感じました。だけど、現在、メディアが記事にして、ここぞとばかりに、寄ってたかって叩いています。満足に抵抗できない状況に置かれているDaiGoさんを、屈服させる形で話全体が進んでいることに、強い恐怖を覚えます。しかも、普段からホームレスや生活保護受給者界隈で支援活動してる人達が、怒ってたりする件はまだわかりますが、普段はあまり関わりの薄そうな人達もこぞって叩いています。これは、僕には恐怖でしかないです。
この理由なら叩いてもいいぞとなると、ドッと普段はDaiGoさんに興味関心が薄そうな人達も、便乗して乗っかる。公開リンチというか、公開いじめというか、自分のストレスの捌け口を探してるように感じます。僕は実際に、炊き出しでそういう人達と接していますが、一部の人達は、いつも炊き出しルールを守ってくれなかったり、あの手この手の様々なズルをします。暴言を吐かれて、無茶苦茶な要求をされて、支離滅裂な主張を受けて、困惑や憤慨することも多々あります。だけど、僕はそれでも、自分の人生を通して思うところがあり、支援を続けたいと思っています。でも、そうは思わない、DaiGoさんとかを叩いたりしません。まあ社会全体が、少しはそういう人達に理解を示してくれたら、もうちょっとみんなが生きやすい社会になるとは思っていますけど。
これからの世の中は、多様性がどうのこうのと言われていますが、そう言うならば、こういうDaiGoさんの意見もイチ意見だし、ナチス的な意見もイチ意見だし、多様性自体を認めないという意見もまた、イチ意見だと思うのです。多様性と言っておきながら、一部の意見は通らないと言うこと自体が、おかしな話だと僕は常々思います。それは、社会全体がタブーをどんどん生み出しているということです。タブーの多い社会は生きづらいですよ。多様性を進めていけば、当然、何かの物事が決まっていくスピードなどは、限りなく遅くなっていきます。それが嫌なら、全体主義的な感じで統制をとるしかないですよね。僕は自分の自由が第一の人なんで、統制されるのは嫌ですけど。
これでは、ある程度の知名度が高い人は、騒動を恐れて萎縮し、自分の発言に自己検閲をかけて、無難な発言しかできなくなります。それでは、自由な本音の意見が交わされないので、本当の意味での議論が深まりません。その影響は、徐々に一般層にも広がり、近い未来に、みんな金太郎飴のような、当たり障りのない同じ意見しか、言わなくなる社会が来そうです。それは、今より更に、自由が制限されてしまいます。そんな世界は、僕は嫌ですね…。笑