500メートルも走れなかった35歳、走る~序章~
裁縫、美文字、そして走ること。
私の人生において最も苦手なこと上位3位を占める事柄。
子供のころは、あまりにこれらができなくて涙することもあったけれど、この年まで来ると、まあ来世に期待するか、という感じで、時々顔を覗かせるコンプレックスとして渦巻くのみである。
例えば字に関して言えば、小学校の時に個人新聞なるものを作らされたのだけど、記名を忘れて提出してしまった。
すると先生は、「誰だこの新聞は。この字は…山田か??」と言った。
山田は、私ではない。
まるこちゃんでいうところの山田みたいな位置づけの男子だ。
体が大きくて、いつも鼻をほじっていて、時間にルーズで、勉強も運動もやる気がなさそうなやつ。悪い奴でも、いい奴でもないけど、字は汚かった。私の新聞は、その山田が書いたと思われたのだ。
「私です…」と、黒板に貼られた新聞を、うつむきながら取りに行った。
恥ずかしくて、泣きそうだった。帰ってから泣いた。山田は全然悪くない。ごめん山田。名前を書かなかった私が悪いのだ。
そんなエピソードと並ぶほどの弱点が、足の遅さだった。
柔軟、球技、ダンス、筋力系と、走る以外の運動はそこそこできるのに、走ることとなるとさっぱり。
徒競走は毎度ビリだし、毎年開催されるマラソン大会もいつもビリだった。
短距離も長距離もぶっちぎりでビリなんてこと、ある?
高校に上がってからは、しゅるしゅるとそんなコンプレックスもしぼんでいた。なぜなら、「本気で走るのダサくね?」みたいなマインドのギャル達が余裕で50m13秒とか叩き出すんで、私もそっち側に混ざることができたから。
走れば早いギャルと、忖度なしに遅い私との間には、大きな差があるのに、知らん顔で「本気出してないだけ」って、タスキをかけてた。
そんな私が、だ。
今年に入ってから始めました。
ランニングを。
本題に入る前に、始めた時のランニングアプリのスクショを載せておく。
ちなみに、アプリを使い始める前に、「500メートル無鉄砲に走ったら、めまいと低血糖に襲われた」という段階を踏んでいる。
なぜ「おばちゃん」の呼称がしっくりき始める年齢になって、走れなかった自分が走り始めることにしたのか。
そしてどうなったのかは…次回へ続く。