small style|働く意味を模索し続け会社員から農業の世界へ。社会にとって必要だと言い切れる仕事ができる喜び
今の暮らし
田んぼと畑をやりながら、小規模事業者の事務支援、週1回は社会人向け農業学校のスタッフ、週1日は障害者の就労支援事業所でボランティアとして農作業をしています。
畑がある高島では大工さんや左官屋さんが仕事をしていることが多いのですが、その人たちのお手伝いもさせていただいています。
朝は4時半に起きて1時間ぐらい本を読んでいます。洗濯して、朝食と後片付けを終わらせてその日仕事をする場所に行っています。農家さんのところで働いて以来、昼寝をするのが日課になっています。
だいたい17時ぐらいには仕事を終わらせ、買い物して帰って、夕食を作っています。特に平日・土日という分け方はしていません。いくつか仕事を並行してやっているので、「今日はこれをする」がずっと続いている感じです。「家族と過ごす」ということも含めてバランスを考えながら、時間配分をしています。
1日の中では午前中に考え事をしたり頭を使う仕事を、午後に手を使う農作業を持ってくると、気持ちよく過ごせることが多いです。夏場だと朝と夕方は農作業、日中の暑い時間帯は事務作業、という感じで仕事をしています。
体が生活リズムを覚えている感じで、夜は自然に眠くなってきます。21時半から22時ぐらいにはだいたい寝ています。
いつ、どの仕事を、どこで、どれだけやるのかを自分で決められるのはとてもやりやすいです。一方、スケジュールの組み方や仕事の配分が上手くいかないことも多くて「まだ模索中」というのが正直なところです。
ごく平凡な家庭で育つ
ごくごく普通のサラリーマン家庭に育ちました。別に自然豊かな環境という訳でもなく、地方都市の住宅地です。両親は共働きで、祖父母と同居していました。小さい頃は家にいる時はコントローラーを持ったまま寝るほど、ずっとテレビゲームばかりやっているような子どもでした。
子どもの頃のことを親に聞いたことがあるのですが、何にでも興味を持って、好きなことがあると飽きずにいつまでもやっていたみたいです。それは今も変わらないですね。
働くことの意味に悶々としていた会社員時代
高校から大学までずっと会計を学んでいて、それを活かしたいと新卒で大手メーカーに就職しました。
20代後半ぐらいから自社製品や自分の仕事に興味が無い人の多さが気になるようになりました。飲み会になると「いつ会社を辞めるか」という話が聞こえてきて、どの職場にも当たり前のように心を病んで休職している人がいるような環境でした。
自分自身でも今やっている仕事が本当に社会にとって必要なことなのか?と疑問を感じながら働いていました。
社会的には「良いところに勤めているね」と言われるような、名前を言えばみんなが知っている会社です。でも実際にそこで働いている人たちの姿を見ながら「何のために働いてるんやろう。「成熟した社会の働き方って何なんやろう」、「今やっている仕事が本当に社会にとって必要なことなのか?」と、もやもやした気持ちでいました。
特に人間関係が悪かったわけではないのですが、その時は誰と話していても楽しくなくて、毎日、昼休みになると会社近くの公園のベンチで寝転がって1人で悶々としてました。
体験農園で衝撃を受ける
26歳の時に結婚した妻の実家は農家でした。共通の話題があれば・・・という程度の理由で体験農園を利用し始めたのですが、そこでの管理人さんとの出会いが農に携わるきっかけになります。
その方は心の底から「自分のやっていることが社会にとって大事な仕事」と信じて仕事をしている方でした。ちょうど働き方について悶々としていた時期だったので「こんな人がこの世にいるのか!」と衝撃を受けたのを今でも覚えています。
野菜を育てる中で、農を伝える仕事がしたいと思い始めた自分がいました。
でも「今が嫌でそう言っているだけじゃないか?」と自分も半信半疑だったのと、妻の実家は娘・息子に農業をさせたくない考え方なのは知っていました。だから、自分の気持ちの確認と、家族への説得材料をつくるつもりで、農業学校に通い始めることにしたんです。
その後も思いは変わることなく、卒業直前にその学校からスタッフにならないかと声をかけていただきました。仕事を変えることを考えている話をしていたためか、同じタイミングで京都のある有機農家さんのところで働く人を探しているというお話も紹介してもらえました。
収入は減るけど、贅沢をしなければ何とか生活していけそうだったので、本当にこの先自分がやっていけるのかという不安はありましたが、29歳で会社を退職しました。
農家で毎日働く
週1日は農業学校のスタッフとして、それ以外の日は農家さんのところで収穫と出荷をして働く生活になりました。不器用な上に要領が悪くて、最初の頃農家さんのところでは口を開く時は「すいません」と言っているほど、毎日失敗をして謝ってばかりでした。
自分が給料泥棒みたいに思えてとても悔しい思いをしていたので、ちょっとでも仕事が上手になりたくて、できるだけ朝早く行って仕事を多くこなすようにしました。周りの方も本当に粘り強く教えてくださり、時間はかかりましたが、少しずつできることが増えていきました。
家族経営の農家さんだったのですが、ラジオのかかった作業小屋で手を動かしながら他愛のない話をしあったり、ビニールハウスの中で昼寝をするという生活リズムが心地よかったです。ほとんど休みはありませんでしたが、毎日仕事をしていても全く苦にならず、自分は農業が好きなんだという確信が持てました。
介護をきっかけに自分の働き方を意識し始める
31歳の時に祖母が癌になり、滋賀の実家で介護をするようになりました。父が休職して主に介護を担い、私は農作業が終わってから、京都から滋賀の実家へ通っていました。この経験がきっかけで働き方を意識するようになりました。
約半年という短い介護で最終的に自宅で私が看取りました。祖父母同居の環境で育った自分にとっては親同然の存在だったので悲しさはもちろんありました。でも、それ以上に祖母が亡くなるまでの間の中で何かを教えてくれているような気がしていて「今この時から何を学べるか?」と、ずっと考え続けていました。
介護経験の中で終末期医療のこと、介護離職のこと、人の尊厳のこと、色んなことを考えました。他の家族もいずれ同じようなるということも意識するようになりました。
「自分は家族とどういう時間を過ごしたいか?」そう思った時に「もし本人が望むのであれば、そばにいられる環境を準備しておきたい」と考えるようになりました。
週3勤務を経て今に至る
農家さんのところで約3年お世話になった後、農業系の公益法人に就職しました。まだコロナ前の時でしたが、リモートワークも混ぜながら、週3日勤務というリズムで働いていました。
大企業と個人経営の農家という両極端な働き方しか知らなかったので、スタッフ3人の小さな組織で働いた経験はとても貴重でした。ここでは総務・労務・経理・イベント運営と、経営に必要な幅広い実務経験をさせていただき、今につながる素敵な出合いにも恵まれました。
約5年働いた後、今は農学校のスタッフを続けつつ、NPOや農業法人の事務作業を請け負っています。
フリーランスとしての働き方はまだ手探りというのが正直なところですが、嘘偽りなく社会にとって必要だと思える仕事ができていると思っています。
そして家族との時間を大事にできる環境にいられるのは本当に幸せです。
暮らしの実体験ができる場をつくりたい
誰かが与えてくれる情報で溢れる時代だからこそ、自分の実体験を通して得られる一次情報が大事だと思っています。
自分でやっていると目の前にあるものや人に対する見え方が変わってくるんです。
「野菜ってこういう風にして育つもんなんや」とか「家1軒建てるのにこんな人らが、これだけ手間かけてるんや」ということを皮膚感覚で知っている。
そういう実体験は僕らの暮らし方や社会のあり方について考える土台になります。
そこから生まれる想像力が、今の世代の人も、後の世代の人も幸せを感じながら暮らせる社会をつくっていくために必要だと信じています。
人の役に立ちたいという純粋な思いを持ちながら「本当はこんな仕事したくない」と心を痛めながら働き続ける人を見てきました。
「仕事は大好きだし社会的にも大事だと思うけど、しんどすぎて続けられない」という人も見てきました。
そういう人たちの中で生き方を見直し、農業や自給的なライフスタイルを選択肢として真剣に考える人が増えています。
身の回りのことを自分たちでやりながら、ささやかで良いから社会の役に立つ生き方をしたい。
そんな思いを持った人たちが、自分のペースで学びながら、具体的な準備ができる場をつくっていきたいと思っています。
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