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献身滞在 3日目(4/27)1

昨晩、みっちゃんのケータイから大量の「さみしい」「かまって」というメッセージが届く。
不平を表す大量のスタンプを見て、私は動揺した。

私の母は長年宗教活動に熱心で、子供のころの私はそれによって孤独を感じていたという因果関係を私はまだどこかで信じているので、みっちゃんがさみしがる姿が幼い頃の自分と重なった。

神の道を選ぶことで自分の子供を放置していいのか
という気持ちと

「本当の私は誰か」というアイデンティティーの問題は自分の人生にとっては何より重要で、その疑問の前には子供の孤独感がどうのなんて言ってられねえんだよ、という「ちょっとさみしいとかその程度の気持ちで、私のやりたいことを邪魔するな!」という、殺意と言えるくらい激しい怒りが沸き上がった。

翌朝になってもみっちゃんからの返信は不満に満ちており、私は早朝散歩に出た先でたまらなくなって彼女に電話をかけた。
「私は今、人生にとってとても大事な勉強をしているから、何度もしつこく連絡してくるのはやめて。帰ったら話を聞くから、大した用事もないのに連絡しないで」と。
みっちゃんは「かまってほしかっただけなの」と小さな声で答えた。

怒りと動揺を感じながら、散歩から帰る道すがら、Jesusに「どうにかしてください」と祈った。

私は彼女を傷つけたのではないかという罪悪感と、家族がこの道を歩む邪魔をしてくるなら私は家を出て行ってやるという怒りとでごちゃごちゃになった。

Jesusからは「彼女のことは心配しなくていい。あなたはあなたの心を見るんだよ」というニュアンスの返答を受け取った。

みじめな気持ちでふと振り向いたら、1111ナンバーの車があった。

ゾロ目をよく見る


何かのサインかと思って、気を取り直し
ファンクション開始の前に、前準備ワークとツールをやった。

ツールをやる中で見えてきたのは

怒りの奥に、私がこの状況を望んでいるということだった。

私は彼女から「特別な愛」によって執着されることで、彼女を自分のコントロール下に置くことができ、それにより自分の価値が証明されると感じているようだ。

無価値感により、外側の何かによって、自分の価値が証明されなければならないと信じているのかもしれん


ツールを進めるうちに
実際は彼女は私の奥底で発する孤独の大絶叫を反映しているだけで、
彼女が救われるためには私が救われる必要がある
という直観的な感覚が来た。

そういえば、私の母もいまだに「自分の真のアイデンティティー」の問題を探求し続けている。

彼女たちは、二人とも<私>の心の反映だ。

家族からの引き戻しに見える演技が起こることについて、こうすけさんから「献身滞在あるあるだね」と経験に基づく話を聞く。

自分の信念を見てるだけ…


で、そのナイーブな感覚に触れたまま
じゅんこと二人で動画作成ファンクションに入り、様々な動画を見たことにより
さらにギエエエエみたいな大絶叫が心臓でビリビリしている感覚が加速した。

悲しい!!淋しい!!ギエエエエみたいな
コトバにならないやつ

さらに、ファンクション中のじゅんこのコメントに投影がわき、

「さっきまで自分だって罪悪感しかないと言ってしょんぼりしてたくせに、えらそうに言うな」とイライラする気持ちが上がるのを見ていた。

後でエクスプレッションしたけれど
こういうのは隠し持ってても仕方ない(隠蔽してもバレバレだし何の助けにもならん)ので、なるべく早めに出していけるようにしたい

じゅんちゃんの言動も、
「私が何を信じているか」を見せてくれる演技でしかない。


ビリビリしているやつは出させてやるしかないから、出させてあげたいね。となり

ファンクション中にたくさん泣きながら祈る。

愛だけを感じたいです。

私が神の子であることを教えてください。

この感覚が、全部ウソだとわからせてください…


どんなときも(たとえももこに投影されても)、天国という目的のために
「愛以外のものは見過ごす」と固く決心しているMighty companionの存在は、本当に得難いと感じる。


世界はすべて「私が何を信じているか」という私の信念を見せてくれてるだけなんだ

そして愛以外のものを見るとき、私は自分でそれを望んでいて、愛ではないものを見ようという自我の目的が発動している

私は、自分の見るものを「どのように見るか」ということについて、全責任がある

(続く)

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