🌟何もないけれど全て差し出す🕊Happy Eternity to Me🙏
↑4/27日にも軽く記録しているのですが
もう一度深く あの感覚を味わいたいと思ったので
じゅんちゃんとこうすけが作ってくださったHappy Eternityのビデオを貼って
2024/4/27の感覚をshareしたいと思います。
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2024年4月27日の夕方、このビデオを撮った時間より3〜5時間程度前に、私が感じたことを可能な限り正確に記そうと思います。
私はこの日、ずっと祈りの中にいたため、心の扉が緩んでいる自覚がありました。何を見ても涙があふれるほど感動することができ、そして同じだけ絶望することが出来る、そういうフレキシブルな状態にいることを自分に許可していました。
私が泣いていた台所にまさ子さんが現れ、私の背中を撫でた時、それは起きました。
おそらく数秒にも満たない間でしたが、この認識は非常に明確でした。
「私は彼らに、巨大な恩がある。そしてこのとてつもない大恩を返し切ることは不可能である」。
明確な直観として、私は突然その理解を与えられました。
「彼ら」とはその瞬間においては献身滞在に参加していたメンバーを意味していましたが、同時に世界中に「兄弟」として表れて見える、すべての存在に対してでもある、とわかりました。
それは、彼らの【正体】が聖霊である、ということへの直観だったように思います。
普段、私が「地球」について、ほんのわずかな土地の一部である「地面」としてしか認識していないように、私は普段、兄弟の正体をまったく見誤っているという感覚。
この莫大な、巨大な、宇宙を覆い尽くすより大きな、確固たる大感謝
こんなにもはっきりと在ることがわかる。
にもかかわらず、私は聖霊の助けなしには普段少しもこの感謝を認識することができない。
私の心が聖霊の目的にチューニングされていないとき、私は兄弟に対して〈私〉が真に抱いている「恩の大きさ」を認識することができない。
その恩は、あまりにも大きすぎるだけでなく、この感覚にリアリティを置いている間、私は兄弟に対して彼らの足元に平伏すほどの莫大な感謝の想い以外を持つことは、絶対にありえなくなる。
全身全靈が、びりびりと震え出すほどの大感謝のバイブレーションを感じる中、感謝と報恩への熱烈な欲求以外は、私のうちに存在しなくなりました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。どうか私を使ってください。どうか私を使ってください…」
それ以外のものが、私の心から溶け去り、ただ泣きました。
自我は、これを認識させたくないはずです。自我の目的のもとに生きているとき、私は文字通りまったく盲目になり、この大恩を認識せずにいるパペットです。
これをひとたび認識し、ここにリアリティを感じたなら、兄弟に対して加害者・被害者という役割を当てはめることがどれほどナンセンスなのか、「何を言っているのかまったく意味がわからない」という感覚になります。
聖霊とともに兄弟の真の姿を見ていないとき
相手が誰であれ、「兄弟に対してこの感謝の想い『以外』を抱くとき」
如何にどれほど私の知覚が【完全に】誤っているのか。
奇跡講座テキストで繰り返し語られてきたことを
少しだけ、わからせてもらったような気がしている。
私は誕生日に、Jesusが何かよいことをしてくださるだろうと期待していました。
そして、Jesusは私の信頼に応えてくれました。
「私は、この恩に対して、どうすればよいですか?」と祈ると、即座に答えが来ました。
ーー私があなたに仕えるように、あなたは兄弟に仕えなさい。
私は、わかりました。と答えました。
………
このnoteを記録しながら↑受け取ったメッセージを残しておきます。
正確かどうかはわかりませんが、私に誤りがあったら、聖霊の修正が入るはずなので、表現することを怖がらずに、残しておきたいと思います。
………
これ(大恩と感謝の認識)が、あなたが欲しかったものだよ。
『見たがっていたもの』はこれだよ。
そして、あなたはこれを頻繁に思い出すことになる。
あなたのこれからの人生は、この大感謝と共にあります。
あなたが、喉から手が出るほど欲しがっていたものを、あなたは兄弟に教えてもらう。
彼らの献身に【ありがとう】と心の底から言いなさい。
あなたの本当のマインドは感謝そのものだから、あなたはここでしか生きられない。感謝を生きていないとき、あなたは本当に自己を見失っています。
感謝と恩を感じられないときは、即座に聖霊の修正を受け入れるとその瞬間に祈りなさい。それがあなたを本当の自己に立ち戻らせるから。
あなたは兄弟とひとつだから、あなたは自分自身に対しても、そのうちこのありがとうを受け入れることになります。
たのしみにしていてね。
一歩一歩いきましょう。
🙏🙏🙏
………
昨日あちこちで受け取ったメッセージも貼っておきます。
私たちがどこにいても
私たちが何をしていても
この聖なる絆がたちきられることはありません。
例えば、肉体が離れるように見える知覚が起きたとしても。
ひとつだから分離できないみたい。
だから安心していいみたい。
もっともっと、それをわからせて欲しい。
私はそれをたくさん体験したいです🙏🙏🙏
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