フランセスWS ノーピープルプリージングとクラリティプロセス
6/18(日)に、フランセスのWSに参加した。
色んなことが絡み合って、運ばれている感覚があるイベントだった。
色んな人とハグする機会があり、言葉にならない感謝が涙になって溢れて、やたらずっと泣く人になっていた。
聖霊は色んな形で聖なる仲間を導いている。
私に判断のつかないところで、ありとあらゆる手段を駆使して、全部に愛を見せてくれようとしているんだろうと思う。
ありとあらゆる方向から、想像もつかない形でやってくる聖霊のインスピレーションを堰き止めないようにしたい。
私は「こうあるべき」を自分で設定して、それに染まろうとして排他的になりがちなので、もっとオープンな気持ちでいたい。
聖霊は誰も裁かない。
区別するのは私だけだ。
学びはとても多かった。
特にノーピープルプリージングとクラリティプロセスについて、今後とても助けになることを教えてもらえた。
■ノーピープルプリージングについて
私はこれまでだいぶ勘違いしていて
「どんなときでも、自分の感情をとりつくろわず不遜で失礼だろうがそのままの態度でいること」だと思いこんでいた。
でも、日常で感じる不快感や怒りや不機嫌さを丸出しにするのは「私は被害者です」という主張を補強しているみたいだし
「これが今の私の感情だから受け入れろ」と攻撃的に提示するようで、相手に対して思いやりのない態度に感じてしまう。
ぶっちゃけそれをやることについての苦痛のほうが勝るので、やりたくない気持ちが強くあった。
しかし、自分の不機嫌さや動揺を丸出しにすることは、どうやら「ノーピープルプリージング」の意味する本筋ではないらしい。
フランセスの昨日の話によると
ノーピープルプリージングはノープライベートソートとセットの概念で、
【自分のインスピレーションに妥協をしないこと】を意味するそうだ。
・自分が感じていることに注意を払うこと
・インスピレーションに注意を払うこと
・他の人がそれについてどう思おうと気にしないこと
↑他の人から承認を得たい、ということにフォーカスを向けていると、「自分が本当は何を感じているか」につながれないから
・ガイダンスはインスピレーションを通じてやってくるから、インスピレーションに注意を払うこと
人に対して失礼な態度をとること=ノーピープルプリージングではない、とはっきり話してくれて、私は安心した。
人からの承認を得る目的で言動しない(愛想笑いしたりお世辞を言わない)というのが大切なのは、外側に左右されず自分の内側のインスピレーションと繋がりやすくするためであって
感じている不快なことを隠さず丸出しにしろという意味ではなかったらしい。
(この前提を共有している仲間同士なら、そのとき感じている動揺を隠すことこそインスピレーションの邪魔をするから、それはオープンでいいんだと思う。)
フランセスはワークショップ全体を通じてとてもやさしく笑いかけていて、それは愛想笑いのためではなく、「参加者を安心させるため」の聖霊の微笑みのように見えた。
安心できる環境で心を開き易くするために微笑みかけることは、「聖霊に使われた」結果のアティチュードであって、ピープルプリージングとは異なるんだな。と感じた。
正直になるにつれて、よりピープルプリージングしなくなっていくし、自分に喜びをもたらすインスピレーションをオープンにしていけるようになる、とのことだった。
■クラリティプロセスについて
このところ、私に相手を助けたり、修正したり、救ったりする力はまったくない。
ということをしみじみ感じていた。
これは母との関係性で散々学んだ「相手の癒しのために『私が』役に立ちたい」という承認欲求が孕まれた動機こそが、マジで聖霊の邪魔をする。
ということを改めて私に思い出させた。
今回のワークショップで、フランセスは「しあわせを自分の中に見つけることだけが、(相手にとって)真に助けとなる」ということを念押ししてくれた。
最近の勉強会でも、のり子さんを通して似たようなことを伝えてもらったので、これはピンポイントで現在の自分へのメッセージだった気がする。
真に助けとなるためには、私は一歩下がる必要がある。
私は、相手に対して、自分が聖霊の反映としてここに居るということのみを提供する。
私は聖霊の証人であり、私はヒーラーではない。
私にできることは、聖霊が働くための空間を提供することだけであり、それこそが真の助けに必要なこと。
「話すためのスペースをホールドして欲しい」ということのリビングミラクルコミュニティでの意味は、
・私の話にコメントしないで欲しい
・私を訂正しようとしないで欲しい
・(間違った知覚から語られる)私の言葉を信じないで欲しい
という意味だ、とフランセスは教えてくれた。
スペースを提供することは、安心安全を提供することであり、
話を聞くとき、いつもならするような共感的な反応をすべて手放し、うなずきやハグや相手を気遣うための触れ合いもしない。
とにかく聖霊だけを提供する。
これまで仲間同士で話す機会がある時にクラリティプロセスを明確な指針として意識はしてこなかったので仕方ないけれど、これを前提とした上で振り返ると「ももこほんとに聖霊の邪魔をしっぱなし」と思う。
スペースを提供することは、本当に名誉なことです。
とフランセスは話していた。
そうかー
となっています。
これからやる。