「でもこれ録画だよ」
リアルじゃない。
でも、みっちゃんとSくんに対しての投影はものすごく出やすい。
ほとんど四六時中一緒にいるから、取り繕ってられないせいもある。
ありがたいことに、家族は私のために、献身的に赦しの課題を出してくれる。
自我の声と同一化し、正気を失っている時の私は、彼らや状況に指をさすだけさして、怒り狂ったり泣いたり落ち込んだりと七転八倒している。
昨日も、彼から誘われた散歩だったのに、帰りに私の足が遅いからと彼がさっさと一人で帰ったことをトリガーに狂気に陥り、私はあんなやつとはもう離婚してやりたい、と一人でキレていた。
「離婚=彼に対して可能な最大の攻撃力を発揮する手段」だと思っているから、そういう発想になる。
要は「私はお前のせいで傷ついた」と主張し、彼を攻撃したいだけだ。
「なんでこんな男と結婚し続けているんだ」
そこからは妄想劇場が開幕である。
自我の言い分を丁寧に聞いても意味無いので詳しく書かないけど
地獄のドラマティックストーリーで自分の感情を正当化しようとする。
ただ、そういう意識状態にある時の私の知覚は完全に誤りで
彼を加害者に仕立て上げ
被害者の私をやることに飛びついているだけだ
ということも、頭の隅でわかっている。
録画済みの映画の主人公になりきって
理解されない可哀想な私
という演技に感情移入している。
なかなか没入感のあるヴァーチャル・リアリティである。
「でもこれ録画だよ」
という内なる声は、キャラとの同一化から、一瞬私を冷静さに引き戻す。
その声は、一瞬だけ差し込んでくる。
藁に縋るみたいに、そこに意識を向けて祈る。
彼が私の生活から消えたら
別の誰かが投影されて、私の課題を映し出す演技をするだろう。
確信のような予感がある。
内側にあるものが外側に映し出されているだけなら、
私の中にある赦されるべき課題が
彼という投影を通して展開されているだけだ。
それなら、彼を変えようとすることや、より良い状況を作ることに意味はない。
今ここで踏みとどまって、聖霊に訂正を祈るしかない。
よく考えたら、彼は何回も何年も(もしかしたら生涯)私の課題に付き合って協力してくれるんだから
加害者ではなく
赦しに対して非常に積極的な協力者であり
その本質は叡智と慈悲と多大な愛なのだろう。
彼に置いて行かれた後、トボトボ歩きつつ泣きながら祈って、葛藤が過ぎ去ってから帰宅して、
台所にいた彼の顔を見た途端
「重い方の荷物を持って帰ってくれてありがとう」
というその瞬間の本音が、自分の口からポロリと出た。
彼は全然気にしてなかった。HAHAHAという感じだった。
「録画されてたストーリーだったんやな」という不思議な冷静さがあった。
「おらんのか。彼はここにおらんのか。私もここにおらんのか。
じゃあ私は何に腹を立てとったんや」
ちょっともうわけがわからない
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