ひとつのこころ:何にもまして、私は真に見たい
ゆうこりんとはるかのペアでやる平安へのツールに、お邪魔させてもらった。(私も似たやつを持っている感じがしたため)
マイクミュートで聞いているだけで、出るわ出るわ自分の中のギョエエエという絶叫みたいなの。
腰痛と吐き気がしてしんどすぎて、途中休憩の際は布団に転がってJesusに助けて!と祈った。
で、内側をしばらく見ていたら
「誰かを助けなくちゃいけない」という自分の信念にたどり着いた。
ので
ゆうこりんとはるかがツールをやっているのを片眼に見ながら
自分のツールをやりました。
この、10のとこまでたどり着いて
私は自分にとってのただ一つの目的である心の平安と再びつながるために「その人と自分は分離している存在」という信念に疑問を呈し
自発的に「私がその人を救って、しあわせにしてあげられること」という欲求を手放します。
と祈った時。
1分後くらいに、別の仲間からドンピシャのメッセージがメッセンジャーで届いた。
要約すると
・ももこを上に見ていて、自分は劣った存在であるという信念があったが、それは自我の嘘だったと気付いた。
というような内容でした。
ツールの答えが別の人から来て「一つの心なのか」となった。
*
Jesus、聖霊
何にもまして、私は真に見たい。
私は、真に助けとなるためだけに存在したいです。
偽りの共感や誤った同情心から
相手を弱い存在として見たり
自分とは別の存在と判断して
切り離して見ることをやめたいです。
私たちが一つの心であることを、もっと教えてください。
私は「困っている人を救って、しあわせにしてあげたい」という欲求を手放します。
今までそれは、私の心の平安に欠かすことがない要素だと信じてきました。
でもそれは、「困っている誰か」と「助けてあげる私」とを分離して、私たちが別々の存在だと見るための、自我の罠でした。
Jesus、私のこの知覚を、一瞬ではなく、永続的に訂正してください。
世界のどこにも、「私が助けなくてはいけない誰か」は存在しておらず
私が救われたら
困っている人は誰もいないのだということを
もう一度私にはっきりとわからせてください。
そうでないと、私は偽りの共感で発狂しそうです。
私はいま
痛んでいる人がいたら同じように痛くなり
苦しんで見える人がいたら同じように苦しくなります。
どうかこの地獄みたいな知覚が完全に間違っていると教えてください。
私は神の子として真に助けとなりたいので
外側に被害者・加害者を見る分離の信念に基づく、「誰かを助けたい」という欲求を手放すことを意志します。
その方がどんなコンディションであっても
その方の神聖さと強さ、「私がいま見ているのは神の子である」という真理だけを見せてください。
天啓みたいにその時だけひらめくのではなく
ずっとそれが腑に落ちて、あたりまえのこととして、完全に認識していられるようにしてください。
よろしくおねがいします!