【architecture】沢田マンション
高知市内の住宅街に『東洋のサグラダ・ファミリア』と呼ばれる建築があるのをご存知だろうか
その名も『沢田マンション』と言い、知る人ぞ知るちょっとした観光名所でもある
私も高知に仕事で行った際に何度か見に行った
この『沢田マンション』であるが、なぜ『東洋のサグラダ・ファミリア』と呼ばれているかと言うと文字通りスペインのバルセロナで、未完の建築として有名なアントニ・ガウディ設計のサグラダ・ファミリアに由来しているわけである
『沢田マンション』は、鉄筋コンクリート造、地下1階、地上5階建て(一部6階建て)、約60戸の集合住宅である
設計者であり、施工者であり、所有者である沢田嘉農さんが44歳のときに、土地550坪を買い、1971年に沢田マンションの建設に着手した
当初は10階建、戸数100戸という壮大な目標にしていたようだが、沢田氏は建築を知らない素人であったのだ
独学で建築、土木を学んだが、これといった専門教育を受けたわけではないし、師匠と呼ぶ人から教わったこともない
地面を掘ることから基礎を作り、鉄筋を編み、コンクリートで躯体をつくる。
全て独学で行ったそうだ
1973年に第一期工事が完成した
このとき4階建24戸であった
その後も何期にも及ぶ工事を続けて2003年に沢田嘉農さんが亡くなるまで増殖を続けたそうだ
今では増築はせずに改修やリフォーム程度の工事をしながら維持をしているそうだ
このように専門知識を持ったそれを職業としていない人がつくりながら考え、考えながら時間をかけてつくったことが『東洋のサグラダファミリア』と呼ばれた所以なのだろう
それゆえ沢田マンションは未だに未完なのかもしれないが…
そもそもこの建築は沢田さんご夫婦と後に参加する息子さんによってつくられたものだ
具体的な設計図もなく、思うがままに、情熱の赴くままにつくられた建築だ
そこにはチグハグな部分や常識はずれの部分も多々ある
お世辞にも綺麗な建築とは言えない
だがこの建築には不思議な魅力に溢れている
このような建築を私には作ることが出来ないだろう
建築設計をしていると、図面に落とし込んだ形を施工者にバトンタッチしてつくってもらう
すなわち作りながら考えることができないのである
また建築家は依頼主の要求を満たすことが求められる
『沢田マンション』は作り手も所有者も同じである
要は自分の欲を満たすためだけにつくる建築は人間の欲望が表現されているのだ
こういう建築を目の当たりにすると建築家は手も足も出ない
お手上げである
ディテールがどうのこうのとか、直線になっていないとか、もうどうでもいいのである
そこに人の情熱がこもっていて、ただ単に俺はこれが作りたいんだという執念には、どんなに美しい図面を描いたとしても敵わないだろう
建築家の無力さを感じる瞬間である
私はこの『沢田マンション』について、どの部分が素敵で、どの部分が魅力的なのかをここで語ろうとは思わない
いくら言葉を並べても私の持っている学問や職業としての言葉はこの建築には敵わないと思うからである
ただ私がこの建築から学ぶことは、その道の専門家が、たった一人の素人の情熱に敵わないこともあるということだ
業界の中に長くいると出来ることと出来ないことを簡単に判断してしまう
その場合経験を積んでいる人ほど難しい道を避ける傾向もある
建築の中には、はじめて担当した物件は思い出深かったりする
先が分からないからしっかりと準備を重ねて、不安と戦いながらも精一杯努力をする
そうした苦労を重ねた建築の質は、経験の差は出るかもしれないが情熱のこもったものが出来上がることがある
建築は不思議なもので情熱次第で出来上がりの質は雲泥の差になる
気持ちのこもっていない建築は不思議だが、すぐにわかる
これには共感してもらえる建築家も多いはずである
これはどんな分野でも同じことが言えると思っている
例えば、このnoteにしたって物凄く素敵な文章を書く方もいる
ライターを本業にしている人より面白くて関心の高い記事を書いたり、独特の言葉使いで読み手を魅了するnoterさんもいる
ライターさんから見れば基本がなってないとなるかもしれないけど、そんなことは素人なんだから知ったこっちゃない
好きなように書いている人には及ばないことだってある
それはライターさんが力不足とかという話ではないのは前述の通りである
ライターさんにはライターさんのプロとしての良さがある
料理だってプロのつくったものは美味しいのかもしれないけど一生懸命勉強して愛情込めてつくってくれた料理や、オカンの懐かしい料理の方が自分には美味しかったりするかもしれない
情熱をもってつくったものには上手いとか下手とかを超えた思いが込められている
そこにプロと素人の境目はない
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