【architect】建築家とは…坂茂に学ぶ
新型コロナによる二度の緊急事態宣言が終わった
次はいつ緊急事態宣言が出されるのだろうか?
もうリバウンドははじまっている
二度目の緊急事態宣言が始まるまで
『政府は何をやっていたんだ!』
という世論が多かった
確かに時間もあった
予測も立てられた
予測不能な未知の世界との闘いなのだから、何十、何百という可能性に対する対処策を想定していて然るべきではないかと思ってしまう
災害についても同じことが言えるように思う
様々なシミュレーションはなされているが実際にどうするか?具体的な対処法が平時から議論されていない
坂茂という建築界では異質の建築家がいる
1957年東京生まれ。高校時にはラグビーで花園にも出場。その後日本ではなく南カリフォルニア建築大学へ。帰国後磯崎新氏のアトリエに在籍した後、クーパーユニオンの建築学部を卒業。
その後、1985年に東京に坂茂建築設計を設立。
アメリカの大学で建築を学び海外を主戦場としながら世界中を飛び回る建築家だ
ニューヨーク、パリにも事務所を構えており国際的な活動をしている
2014年には建築界のノーベル賞とも言われるプリッツカー賞を受賞している
建築家の内藤廣氏は、被災地支援について建築家として何か言う資格があるのは坂茂氏しかいないと言っている
坂茂氏曰く、
「建築家という職業は社会の役に立っていないのではないかという疑問が心のどこかにありました。建築家は家を建てるなど、クライアントの人生でどちらかというとハッピーなときに関わる仕事です。それに比べ医者や弁護士は、人生で辛いときに関わるので大変だなと。」
建築家という職能について若いときから考えていたのだ
そこで起こったのが1995年の阪神淡路大震災だ
毎週日曜日には始発の新幹線に乗って現地を訪れた
何をしたらよいかわからず、歩き回った挙句、外国人被災者が仮設住宅に入らず困っていることを知る
そこで『紙のログハウス』という仮の住宅を学生とつくったことが喜ばれた。
そこからNPO法人『VAN』を立ち上げて、平時から災害支援に備えた対策を積み重ねている
被災地に坂茂ありと言われるほど世界中で災害支援を行なっている
阪神大震災の時までは被災地支援は全て自腹だった
勝手にやっているから全て赤字
儲けたいわけではないが相当大変だったそうだ
NPOを立ち上げて以降はだいぶ資金繰りは安定したようだが、それでも大変なことは多い
東日本大震災のときには、避難所用に平時から計画していた紙管を組み合わせた柱と梁でパーテーションを作り、カーテンで仕切るシステムを、避難所をまわって説明するも、役所の人は前例がないというだけで受け入れてくれなかった
諦めずに回っていると、山形で偶然民主党の岡田克也氏に出会い、これはいい!となり一気に広まることとなった
新聞などでも取り上げられて結局1800ユニットつくられた
紙管はどこにでも手に入る簡易的なもので、強度もあり、組み立ても自分たちでできる
何より、避難所でプライバシーの確保は必須であることを今までの経験で坂は知っていた
授乳や着替えなどはプライバシーが確保されていないとストレスが溜まる
他にも仮設住宅をコンテナを三層に積んで、短期的に作るなどの実績もある
海外でも、現地の材料を使いながら仮設住宅を作ることもある
これらの経験から平時において行政や大学と業務提携を結ぶことでいざ災害が生じたときに迅速に対応できるようにプラットフォームを整えている
実際に熊本地震の際には迅速な対応に繋がったという
10年以上前にTVの情熱大陸に出演されていた
災害支援に奔走する中、巨大な公共建築を世界中で計画していた
現地の職人や担当者に、納得のいかない施工に何度も何度も食い下がりながら是正するように訴えていたのが印象的だった
そこにはいわゆる建築家然とした偉そうな態度は微塵もなかった
まるで建築事務所の一年目が現場で必死に現場監督と交渉しているような感じであった
同じように被災地でも色々な人に、直接交渉して自分たちの災害支援を受けてもらえるように説明しているのだ
プライドや肩書きなんて関係ない
坂氏は自らが先陣を切って、走り回る。事務所でふんぞり返っている建築家ではない。文字通り闘う建築家だ。偉ぶるでもなく、傲慢でもなく、ただがむしゃらに正しいことを貫き通す意地を感じた
10年くらい前に世田谷の松原にある坂茂氏の事務所を偶然発見したときは感動した
当時設計していたポンピドゥセンター・メスの模型が置かれていた
坂氏のつくる建築は被災地支援の仕事から派生した紙の建築だけでなく、木を用いた建築やビルディングタイプのものまで幅広く設計されている
流行に流されることなく完全にオリジナル路線をいっている
僕は坂さんの優しい建築が好きだ
大分県立美術館や銀座のスウォッチビルは特に素晴らしかった
若い頃は被災地支援のためにお金を稼ぐ必要があって高級な建築をつくっていたこともあったが基本的には、被災地であろうがなかろうが、坂さんの建築家として人の役に立ちたいという気持ちのこもった建築だと思う
『被災地にいる建築家』というイメージが策略なのか本能なのか、偽善なのかそうでないのか
そんなことはどうでもいい
偽善だろうが何だろうが、これだけの人の役に立っている人に対してそんな疑問は愚問だ
東日本大震災の後、多くの建築家が復興計画を提案するがどれも受け入れられなかった
結局過去の歴史や文化を残すのではなく、全てを白紙にすること、安全のための防波堤をどうするかなどばかりが議論になってしまったそうだ
建築家があるべき姿とは
東日本大震災から10年
今一度考える時だろう