畠山家を呼ぶことになった経緯とか(4月17日~19日の催しに寄せて)
ハタ(畠山智明)さんと初めて会ったのは去年(2024年)の10月末の徳島県、橋本山林の坂田昌子さんのガイド付きツアーの二日間。
地球守という団体についてはもちろん知っていて、その代表理事をしている、と聞いて何か話せたらいいな、とは思っていた、と思うんだけれど、坂田さんの話は聞きたいし、岐阜県は恵那の古い友人ケンケンと思わぬ再会をしたり、全国からわざわざ来ている参加者はやっぱり面白い人ぞろいだったり、初めてゆっくりはなしたのが二日目の昼前あたりだった。気がする。
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もちろんこのとき催しを開こうとは欠片も思っていない
そのとき奥さん(みのりさん)が歌を歌う人だという話を聞いた。そして、ご飯を炊くとか部屋を暖かくするとか、暮らしそのものに時間がかかる生活をしている、という話も。程度はともかく、我が家も同じ方向の暮らしをしていて、そうそう時間かかるよねー、とかなんとか話しているうちに終わりが来て、またどこかで!とか言ってお別れした。ような気がする。
それから年末にかけて、みのりさんのインスタでお試しのライブ配信をしているのを見て、まず、「え?ギター弾いてる!」というのが驚きと同時にめっちゃ良くて、子どもたちがいる感じとか、その中の歌声がほんとうに気持ちよくて(個人的にはこの後ばっちり準備されたライブ配信よりも、下のお試し配信の時の感じが好きだったりします。)、なっちゃんと伊吹に聞かせて、「これを生でみんなで聞きたいなー」と思っていた。
そしてクリスマスに開催された、岐阜県は恵那の古い友人ケンケンの坂田さんのワークショップ。そこで、ハタさんと石場建ての家づくりで関係している水野さんと会う。夜の懇親会、今の住宅と山林のつながりのはなしとか、林業の実際の話だとか、(水野さんは変える予定だったので僕だけ)お酒を飲みながら話をする機会があった。
年末年始、例年の愛知帰省が母の体調不良で中止。家で庭仕事や薪の整理をしながら、次の一年のことを考える時間がたっぷりとれたのも大きかった気がする。
「ハタさんよんでさ、有機土木の駐車場づくりしてみよっかな。」
「そしたらさ、奥さんと子どもたちも来てもらったらさ、ライブしてもらえないかな??」
ここまで具体的に心が動いてしまったら、あとはやるのみ。
1月4日に突然の長い申し出を送り付け、ご快諾いただき開催となりました。
あれ、その直後の通話での話し合いのことを書きたかったのだけれど、少し長くなったので、後半に続きます。