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【DAY5】好きなことは饒舌になる【書く習慣】

思ったより長くなったので目次付き。
負の歴史は書き始めると筆が止まりませんでした。
後味悪いと思って良い思い出も書いたらもっと止まりませんでした。

#DAY5 「昔はどんな子どもだったのか」

低学年

自分で言うのもアレですがめちゃくちゃ優等生でした。
お勉強はできるし、弱きを助け強くを挫く正義感があったし、小1入学直後に2年生の大縄へ単身混ざる豪胆さあり(背が高かったので転校生かと思われていたようです)先生からの信頼も厚く、頼みの綱にされてました。
就学前にIQ検査があり高IQだったので偉い人が労いにきたそうです。私は覚えていませんが。
高IQで役に立ったのはクイズ番組のひらめき問題が秒で解けることくらいです。メンサにでも入れば良かったのかな。

高学年

しかし超優等生時代は小2〜3頃で終了します。人生のピークが早くも終わりました。早過ぎるにも程があります。
高学年女子辺りからは俗に言う黒歴史です。
先生からしたら斜に構えた感じの生徒だったことでしょう。目立った反抗はしないけど、従順でもない。非常に扱いにくい種類の子どもでした。

中学時代

中学時代の担任とは何から何まで合わなかった。そんな合わない担任は3年間変わりませんでした。
あんなに外遊びばかりしていたのにこの頃は運動大嫌い!体育なんて滅びてしまえ!!と呪うほど運動音痴になってました。隙あらば体育を見学するほどに(当時は気づきませんでしたがみんな体育好きなんだね…一部の陽キャだけかと思ってました)
そんな私に体育科の熱血教師。地獄でした。
私ももちろん悪かったですが担任もその対応はアウトでしょと今でも思ってます。相手も若かったので舐められまいとしていたのでしょう。
そんな担任でしたので、体育嫌いの根性なしな私は目の敵にされてました。(実際は違うかもしれませんが当時そう感じていたのだから何かしらあったと思います)
私の母親はよく出来た人なので在学中は絶対悪口を言いませんでした。卒業後は悪く言うことはそこまでありませんでしたが良く言うこともなかったです。担任に気に入られてた親友のお母様も「ハズレ」と卒業後に言ってました。そういうことです。
思い出してもムカムカするので今でも根に持ってる証拠ですね。

中高時代熱中したこと

反対に楽しかった記憶も書いておきます。
お勉強は相変わらずそこそこ出来ていたのが救いで幸い学びも好きでした。中でも国語が好きで、中学時代の国語科の先生は大好きでした。恩師と呼べるのはこの先生しかいません。あの出会いは財産です。大人になり結婚して家族が増えた今でも仲良しです。
そんな先生から教えて頂いたものの中でも1番思い出深いもの。それは「競技かるた」です。
今でこそ『ちはやふる』効果で市民権を得てますが、当時は連載前。マイナー中のマイナー競技でした。
百枚覚えてからの私は鬼のように強かったのです。自分で言っちゃうくらい強かった。出る大会では必ずトロフィーをかっさらい、中学高校と全国大会にも出場しました。旧姓でググれば優勝した大会がヒットするくらい強かった。大学では続けませんでしたが、かるた推薦で受かるのでは?と言われるくらいでした。
競技かるたの世界に繋いでくれたのは恩師ですが、競技かるたの師匠は別です。都内御三家K校かるた部出身医大生がかるたの師匠でした。今考えればとても贅沢。今では立派なドクターになっているようです。千早の師匠のようになるのかもしれませんね。

過去最長になったところで今回はおしまい。
後半は熱中したこと語りになってしまいました。
青春時代の思い出みたいなテーマがきたら被るけど、もっとかるた愛を書こうと思います。
推し札の話とかみんな聞きたいでしょ?(ウザイ絡み)


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