実はポルトガル語圏でも「とんでも修復事件」は起きていた(2)
この記事は、こちら ↓ の記事の続きです。
ポルトガル語圏ということで、
勿論ポルトガル本国も外せません。
とはいっても、
これはいわゆる「事件」ではないのですが…。
「事」が起きたのはベイラ・アルタ地方、コインブラ郡
オリヴェイラ・ド・オスピタル市、
アルデイアダスデス行政教区
(Freguesia de Aldeia das Dez
【フレゲズィーア・ダルデイア・ダシ・ディシ】)
…という、
「コインブラ郡(コインプラ県ともいう)」以外は
日本人にはほとんど知られていない村にある
Santuário de Nossa Senhora das Preces
【サントゥアーリウ・ドゥ・ノッサ・セニョーラ・ダシ・プレッスィシ】
というサンクチュアリー(聖域)です。
地理的に言うと、この辺りになります。
↓
日本人が知らないのも無理もない僻地 ↓ です。
周りに何もない山間部の小さな村です。↓
中世のような雰囲気を残す町並みも素敵な小さな小さな田舎町です。↓
この小さな町の、
赤丸で囲んだ部分が
「サンクチュアリ(聖域)」と呼ばれるエリアの
主たる部分です。
14世紀末、この赤丸エリアの更に右斜め上に進んだ山頂で
聖母像が見つかり、それ以降、
山頂への巡礼が盛んになったということで、
山頂にはチャペルが建てられ、
「Nossa Senhora das Preces」
【ノッサ・セニョーラ・ダシ・プレッスィシ】
(=「祈りの聖母」)
と名付けられたその像が祭られたものの、
現地へのアクセスの困難さから、
17世紀末期から18世紀初頭にかけて
集落の間近に建立された教会に像を移し、
ここを「聖域」としたのだそうです。
❇❇❇
「聖域」の入り口の門から入ると
まず「祈りの聖母」が祭られる教会 ↓ があります。
教会内部 ↓
「Nossa Senhora das Preces」
【ノッサ・セニョーラ・ダシ・プレッスィシ】
(=「祈りの聖母」)の像
↓
教会の脇の道を進むと
噴水のある広場があり、
更に進んだ坂道になった公園内には
全部で15個のチャペルがあります。
各チャペルにはテーマがあり、
「キリストの生誕」を表すプレゼピオなどが
飾られています。
何はともあれ、
教会とその周りの施設を2分強で巡る動画をどうぞ。
↓
この中で今回ピックアップするのは、
「最後の晩餐」を模した立体展示物です。
↓
これらのフィギュアは老朽化が激しかったため、
2007年に
博物館学の生徒による復元作業が行われたそうなのですが、
それから7年もの年月を経た2014年に
ポルトガルの文化財保全協会のホームページに
その画像が紹介されると、
大炎上してしまったとのこと...。
というのも、
「修復前」と「修復後」の画像を見た人々が、
「こんなのは DIY レベルだ!」
「スペインのセシリアおばさんの修復じゃあるまいし!」
と、大騒ぎになってしまったのだそうです…。
ちなみに「セシリアおばさん」とは、
トップ画像にもあるこれを「やらかした」人物です…。
↓
そんなこんなで、
ポルトガルの「聖域」のケースも
新聞記事やテレビのニュースにもなり、
ポルトガルの国家教会文化財事務局も
「これは美術品への冒涜だ」
との声明を出したのですが、
当の「聖域」関係者や現地住民はというと、
「見るも無残な姿になっていたものを
ここまで修復してくれた人達になんということを言うのだ!」
と、
ひたすら修復作業の結果に満足しているのだそうで、
まったく埒が明かず…、
結局は今もそのままになっているようです。
❇❇❇
そういえばこの一件以外でも
もっと最近になって
現地住民が
「観光客の老女が
『夜遅くにも教会の鐘が鳴ってうるさい』と文句を言った。
我々にとっては昔から聞いているものであって、
一晩や二晩泊まっただけの人間に文句を言われる筋合いはない」
と、大騒ぎしていました…。
小さな集落なので閉鎖的なところがあり、
独自の価値観があるということなのでしょうね…。
❇❇❇
というわけで、
部外者が「事件」にしようと大騒ぎしたけれど、
当事者はてんで気にしていなかった…
という一件でした。笑
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
※ 誰も知らない所では誰も知らない「事件」が起きていたりするんだね、
否、
「学者風 電球」はこたつぶとんさんの作品です。
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