異なる2カ国のファーストレディーになった世界唯一の女性
トップ画像の女性の名前は
Graça Machel
【グラッサ・マシェール】
こと
モザンビーク共和国の
元教育大臣で人権活動家の
グラサ・マシェルです。
↓
(抜粋 ↓)
この ↑ Wikipedia からの抜粋にもあるとおり、
彼女には二度の結婚歴がありますが、
一人目の夫は
モザンビーク共和国初代大統領
サモラ・マシェル氏。
二人目の夫は
反アパルトヘイト運動に身を投じ、
27年間に及ぶ獄中生活を経て
南アフリカ共和国大統領となり、
ノーベル平和賞も受賞した
世界的に著名な
ネルソン・マンデラ氏。
夫はいずれも大統領ですが、
異なる国の大統領なので、
「二か国のファーストレディーになった」
という意味で
唯一無二の女性なのです。
また、
彼女は公的な活動においても、
教育大臣を14年間務めた後も
政治・社会に係る活動を続け、
国連からの指名の下行った
幼少期に於ける紛争の影響に係る調査では、
1995年にナンセン難民賞を受賞しているなど、
数多くの功績を残しています。
尚、同調査報告書はこちら。
↓
🏆🏆🏆🏆🏆
才女でありながら、
実に人間味に溢れるグラサ・マシェルは
一人目の夫 サモラ・マシェルとの間に
一人娘を儲けています。
その名は、
Josina Ziyaya Machel
【ジョズィーナ・ズィヤーヤ・マシェール】
(ジョシナ・Z・マシェル)
驚いたことに、
夫サモラ・マシェルの先妻の名前を
自身の娘に付けているのです。
サモラ・マシェルの先妻は、
Josina Machel
【ジョズィーナ・マシェール】
仮名表記:「ジョシナ・マシェル」
植民地制度の廃止と
女性の地位向上を目指す人権活動家で、
25歳という若さで病死しているのですが、
モザンビークの独立のヒロインとして
その名を残した人物です。
ちなみにアンゴラ共和国最高峰の基幹病院は
ジョシナ・マシェル病院といいます。
(※ 日本のODAが多大な苦労をしてこれの改修を行いました。)
そう、
ジョシナ・マシェルは
モザンビークに留まらず、
全ポルトガル語圏アフリカにおいて
病院のみならず
通りの名前などにもなっている
歴史上のヒロインなのです。
ですから、
グラサ・マシェルにとっても
憧れの人だったのかもしれません。
とはいえ、
ジョシナは夫の先妻...、
その名を娘に授けるには
大きな勇気が必要だったのではとも
思わざるを得ません...。
👶🏾👶🏾👶🏾
ともあれ、
グラサ・マシェルの娘である
ジョシナ・Z・マシェルはというと、
これまた
社会政治学と経済学を学び、
HIVの問題などに取り組む人権活動家でしたが、
2015年、
同棲中のパートナーの DV により
右目を失明し、
それ以降は
ドメスティック・バイオレンス・サバイバーとしての
女性の人権活動に力を入れるようになり、
2020年には
「BBC 100人の女性」
(BBC 100 Women 2020)にも
リストアップされています。
🏆🏆🏆🏆🏆
Guilherme Silvaというモザンビーク人シンガーソングライターが
「MOTHER AFRICA」と題してグラッサ・マシェルへの
オマージュ・ソングをリリースしています。
よろしければ、
下に続くグラサ・マシェルの写真を見ながらお聴きください。
一人目の夫サモラと。↓
兼ねてより
サモラが亡くなった飛行機事故には
南アが関わっていたと噂されていたため、
アパルトヘイトが撤廃されると
グラサは
再調査への協力を依頼するために
大統領になったばかりのネルソン・マンデラに
面会しに南アに出向きます。
当時二人目の妻ウィニーと別れたばかりの
ネルソン・マンデラは
調査に協力する中、グラサ・マシェルと
意気投合、
ネルソン・マンデラは3度目、
グラサ・マシェルは2度目の結婚に至り、
2013年にマンデラ氏が亡くなるまで
仲睦まじく過ごしました。
💕💕💕💕💕
グラサ・マシェルは
2019年を以て、
20年間務めたケープタウン大学の総長を辞め、
今は静かに余生を過ごしています。
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました。
※ 「グラサさんって素敵な人だね♪」、こと
「菜の花と少女」はこたつぶとんさんの作品です。
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