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大学でのヘンテコなメンツ
画像:Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像
ブラジルの大学生だった頃の話です。
選択科目(第2外国語的なヤツ)にフランス語を選びました。
授業は、のっけから簡単な会話のパートと
読み物を使って文法を掘り下げるパートに分かれていました。
そして、初めての「読み物」は
ヴォルテールの「 カンディード」でした。
日本だったら
「なんでやねん!」と突っ込まれそうな
難し気に思えるこの「読み物」ですが、
そこは全員がポルトガル語を話すブラジルでのこと、
難し目なものの方が簡単なのです。
なんたって「言語」は「生き物」なので、
使われれば使われるほど(生かされれば生かされるほど)
変化します。
ですから、
普段から多用される日常の単語は全く違っても、
使う頻度の少ない難しい単語はそっくりだったりするのです。
ある時、
そんなフランス語の授業で5~6人のグループで
ディスカッションするよう講師からの指示がありました。
椅子の向きだけ変えて適当に近場の5人が集まって、
学科が違う者同士なので取り敢えずの自己紹介をしてみれば、
・ポルトガル語科(国文科)のポルトガル系二世の白人男性
・同じくポルトガル語科(国文科)の黒人男性
・アラブ語科/国文科ダブル専攻のアラブ系3世の女性
・ヘブライ語科/国文科ダブル専攻のイスラエル系2世のユダヤ人女性
・日本語科/国文科ダブル専攻の日本人(私)
というメンツ。
「なんだか私ら、他国の人が見たら
絶対仲良くできなさそうなメンツだと言われそうだね!」
と笑い合いました。
それにしても、さすがはウチの大学、
まるで怠け者の集まりです。
外国語学科が勢揃いしている学校だというのに
誰も本当の意味での外国語を専攻していないだなんて…。>笑!
こんな調子だから、
完全に初めから習おうと入学してくる人が
どうしてもドロップアウトし勝ちなわけで…。
*****
ちなみに単位のプラスアルファにと
イタリア語も選択科目として取ったことがあるのですが、
これはひどかった…!
ブラジルって、イタリア系移民が多いんです。
で、このクラスの場合は、
イタリア語以外の語学を専攻しているイタリア系の学生だらけで…。
私、見事に落ちこぼれました…!
期末の試験では、
幸い複合過去形がメインに出題されたため、
法則が一緒のフランス語の文法の知識でイタリア語の問題を解いて(笑)
なんとか合格ラインぎりぎりの点が取れたので、
半年分の単位だけ取って、とっとこ逃げました…。>爆!
*****
ところで、
上のメンツの1番目に「ポルトガル系二世」が出てきましたが、
実はこの時代(1980年前後)、「ポルトガル系二世」ないし
「子供の頃にポルトガルからブラジルに移住してきた」
という学生が結構いました。
何故だかわかりますか?
その答えは、1960年代半ばから1970年半ばまで、
ポルトガルではアフリカの植民地との独立戦争に巻き込まれるのが嫌だと
家族連れでブラジルへの移住を決意した人が大勢いたのです。
ちなみに私が育った時代、
ブラジルの学校教育ではアフリカ葡語圏について
ほとんど何も教えてもらえませんでした。
国語の教科書の表紙裏あたりに
ポルトガル語を話す国のリストが載っている程度で、
それ以外は何も教えられた記憶がありません。
これは、
当時のブラジルが軍事政権下にあり、
一方の
アフリカ葡語圏の大半が東側諸国の支援を受け、
その思想に系統していたことが主な原因です。
「子供が『変な思想』に『汚染』されては困る」という考え方です…。
今でこそ、インターネットを使えば
大抵の情報が手に入りますが、
当時は、
政府が如何様にも国民を操作できたということですね…。
この場合は
何か嘘をついたわけでもなく、
「ただ教えないだけ」
という操作だったわけですが、
今考えてみると、
教育って恐いものだなと思ってしまいます。
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
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※ 猫の落語家はイラストレーターのこたつぶとんさんの作品です。