ブラジル北東部セルトンの女性の人生を描いたショートアニメ「ヴィ―ダ・マリーア」(「マリアな生涯」)

貧富の差が大きいことでも知られるブラジル…。

これは、そんなブラジルの中でも自然環境に恵まれないセルトンと呼ばれる半砂漠地帯(https://kotobank.jp/word/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3-1352627)に暮らす女性の有りがちでやるせない生涯がどのようなもので、それが如何に世代から世代へと受け継がれていくかを物語った8分強のアニメであり、そんなセルトンを抱えるセアラ州政府が開催する「映画・動画コンクール」で優勝した作品でもあります。

窓辺で文字の練習をする幼い女の子の名前はマリア・ジョゼ。そこへやってきた母親が、「そんなことやっている暇があるなら家の手伝いをしなさい!」と。それに応えてマリア・ジョゼは井戸汲みに向かいます。

毎日毎日同じ生活を続けながらマリア・ジョゼは大人になり、何人もの子供を産み、あっというまにすっかり老け込んでしまい、心もすさんでしまいます。

そして、窓辺で字を書く練習をする幼い娘に、かつて自らの母親に言われたのと同じ言葉を向けてしまいます。

年老いた母は亡くなり、窓辺に残されたのは、娘が文字を練習していたノート…。

娘が練習していたのは自らの名前のマリア・デ・ルルデス…。

手前のページはかつてマリア・ジョゼが練習していた自分の名前…。

その手前のページは、マリア・ジョゼの母のマリア・アパレシーダ…。

さらに手前にも代々、1ページ分しか練習されることなかった名前たち…。

ブラジルの女性の名前というと、マリア○○、またはマリア・デ・○○という組み合わせが非常に多く、そんなどこにでも5万といるマリアの生涯、何も変わらない日常が続くだけの生涯を描いた社会風刺アニメです。

なお、タイトルの「Vida Maria」を「マリアな人生」と訳したのは、「マリアの人生」であれば「Vida de Maria」になる筈で、そうであれば「聖母マリアの人生」と解釈するのが通常なので、それを回避するために前置詞なしの「Vida Maria」になっているのでしょうが、そうなると「Maria」が形容詞のような位置関係になるため、「いかにもマリアっぽい人生じゃないか」という皮肉なのだろうと解釈したためです。

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