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人形遊びに見る日本と西洋の意識の違い
先程、
こんな ↓ つぶやきを投稿したところ、
コメント欄で、ぽにょぽにょさんと
こんな会話が生まれました。
ぽにょぽにょさん:
🤣🤣🤣
ケーキってもっと夢とか希望とか詰め込んでもらえるものじゃないの?
でも家族の愛は詰まってそう💕
Shiomin:
ぽにょぽにょさん、
そう言われると、
「ケーキは美しくなくっちゃ」と思って疑わない日本人って「カッコつけたがり」なのだろうか、それとも現実が「辛い世界」だから、そういうものに夢を託すのだろうか」
などと考え込んでしまいます!😆 😆 😆
で、その流れで思ったのですが、
そういえば「標準体型のバービー」 ↓ とかが発売されて久しいけれど、
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日本のそこいらの玩具店で見掛けた記憶もなければ、
オリエンタルなバービー ↓ が存在するからといって、
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「私は日本人ですもの。お人形だってこうでなくっちゃ!」
などという子供に出逢ったこともありません。
一方、ブラジルやアフリカでは
結構な確率で
黒人の女の子が
大事そうに
肌の黒いお人形を抱えていたりします。
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私は兼ねがね
「ポルトガル語圏って、人々が無頓着だからいい♪」
てなことを書いてきましたが、
お人形については、
日本人の方が「無頓着」だということなのでしょうか?
それとも、幼い頃から
「金髪・青い目への憧れ」みたいなものがあって、
逆にそれにこだわるからこそ
こうなるなのでしょうか?
🤔🤔🤔
確かに日本では
周りは日本人だらけで
観光地や街中で西洋人を見掛ける程度なので、
日本の子供は人種などについて考える機会が少ないですよね。
そういった意味では「無頓着」と言えるのかもしれません。
その結果、
「人形と自分は人種が違う」
などという意識が芽生えることもなく、
「人形とはこういうもの」、
「どうせなら西洋的でカワイイ顔をしている方がいい」
といった意識に結びついているのだとしたら、
日本の子供にとっての人形とは
「可愛がる対象」、
「アイドル的な対象」で、
一方、
自分に似たものを好む西洋人の子供にとっての
人形とは、
「家族の一員」、
または「自分自身を表現するアイコン的な存在」
だということなのではないでしょうか。
🤔🤔🤔
いろいろ思いを巡らせた結果、
こんなことを思ってしまいました。
西洋では人形はアイデンティティーを表すものだとされており、
そのため、
いろいろなユーザーに自らのアイデンティティーを
感じ取ってもらうためにも、下の画像のように
いろいろな人種・体形・境遇の人形が作られ、
それが受け入れられています。
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こんなに極端なバービーだって、
それを敢えて選ぶ子供もいるというわけです。
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一方、
日本でこういった人形を大量に生産したり
輸入したところで、
人形が自らのアイコンだったりはせず、
自分と姿形が似ているものすら望まない子供が
このような可愛さを「控えた」ものを
好むことは稀なのではないでしょうか。
そもそも、たとえ
ふくよかでオリエンタルな顔をした人形があり、
それが母親に似ているからと
子供が欲しがったとしても、
「これぞ娘が私を愛してくれている証拠ね♪」
と喜んで購入する母親がどれだけいるでしょう…?
むしろ
「もっと可愛いのにすれば?」
と言ってしまうお母さんの方が多いのではないかと
思ってしまうのは、私の偏見でしょうか?
🤔🤔🤔
いずれにせよ、
片や西洋では
これほど明確にアイデンティティーを強調し、
「みんな違っていいんだ」
ということを年中インプットし続けなければ
人種差別の問題などを
乗り越えられないのかもしれないのかもとも
思いますし、
逆に、日本のように
「前提は皆同じで一緒、
美しい・可愛いと思うものも皆一緒、
だからその中でも最良だとされるものを
追い求めるのも当然だし、皆一緒」
と考えているように見えてしまいかねない
風潮があると、
ひょっとして、それが例えば
障がい者やその他のマイノリティーへの差別が
なかなかなくならない原因になっているといった
可能性もあるんじゃないか…
といった思いがよぎってしまい、
しばし考え込んでしまいました…。
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いや、
こういうことって
決定的な答えがあるものでもないし、
どちらがいいとか悪いとかいう問題でもありませんから、
私としては、
ふと思ったことを綴ってしまったまでで、
本来伝えたかったことはというと、
幼い頃から
「人形を持つ」という
女の子なら誰でもすることからして
日本人と西洋人では
もしかして根本的な意識上の違いが
あるのではないかと思った。
というだけのことなのですけどね…。
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なんだか長々と、且つ取り留めなく、
妄想するままに文を書いてしまいましたが、
お付き合い頂き、誠にありがとうございました!
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※「赤くても、青くても、鬼は鬼♪」、否、
「遊ぶ鬼」はこたつぶとんさんの作品です。