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ロベルト・カルロスの家族

トップ画像は
ブラジル人歌手ロベルト・カルロスと
その子供達です。

🌹🌻🌷🌺🥀


昨日、ロベルト・カルロスについての記事を書きました。

この記事 ↑ を作成するにあたり
色々と調べていると、
彼の結婚や子供に関する情報が多数ヒットして、
多くの不幸にも見舞われていることを知ったので、
それについても記事にしてみようと思いました。


ロベルト・カルロスが最初に結婚したのは
1968年、24歳のときでした。

お相手は 4歳年上の クレオニッセ・ホッスィ
(Cleonice Rossi、愛称:「ニッセ」)さんでした。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p=casamento%20roberto%20carlos&x=nl#1a1918ebca65a109bcd9124ba7c39e9e

彼女はバツイチで、
父親に認知されずじまいになっていた当時3歳の
アナ・パウラ (Ana Paula)ちゃんという娘がいました。

ロベルト・カルロスは、
この子を認知し、自分の子として育てる決心をします。

翌1969年には長男の
Roberto Carlos Braga II (愛称兼芸名:Dudu Braga)を授かります。

1971年には次女の
ルシア―ナ(Luciana)が生まれます。

こうしてロベルト・カルロスは
3人の子供の父となりました。

        http://www.robertocarlos.com/fotos/pessoais/familia/

でもこの幸せは長くは続かず、
その後ロベルト・カルロスの浮気発覚などを経て、
1979年には離婚してしまいます。

そしてニッセはそれから11年後の1990年に
乳癌で亡くなっています。

☔☔☔


最初の実子として生まれた息子
(Dudu Braga【ドゥドゥ―・ブラーガ】)には
先天性で進行性の視覚障害があり、
音楽プロデューサーとして活躍したものの、
晩年は若干の光を感じる程度の視力しかなくなり、
残念ながら、昨年癌で亡くなりました(享年52歳)。

 https://exame.com/casual/dudu-braga-filho-de-roberto-carlos-morre-aos-52-anos-com-cancer/     在りし日ののドゥドゥ・ブラーガと

また、認知して育てたアナ・パウラは
2011年、心臓発作により
47歳の若さで亡くなっています。

https://www.ofuxico.com.br/noticias/morre-ana-paula-rossi-braga-filha-de-roberto-carlos/    晩年のアナ・パウラと

次女ルシア―ナは
結婚してロンドンに住んでおり、
今も健在です。

こうして
ニッセと共に築いた5人家族はロベルト・カルロス本人と
このルシア―ナだけになってしまったわけです…。

☔☔☔


ロベルト・カルロスはニッセとの離婚から1年後の1980年、
女優の ミリアン・リオス(Myriam Rios)と再婚し、
この結婚は1989年まで持続しましたが、
子供を授かることはありませんでした。

                                    https://www.robertocarlos.com/es/fotos/personales/myrian-rios-2/


その後1991年からは
教育学者の マリア・ヒッタ・スィモンイス (Maria Rita Simões)と
5年間の同棲を経て1996年に入籍しますが、
この関係でも子宝には恵まれず、
そのわずか2年後には彼女もまた癌を発症し、
翌1999年には治療の甲斐なく亡くなっています。

☔☔☔

ところで
ロベルトカルロスには
もう一人息子がいます。

それが1990年に発覚した
ラファエル(Rafael Torres Braga
【現地読み:ハファエウ・トーヒス・ブラーガ】)です。

https://www.dci.com.br/dci-mais/celebridades/quem-sao-os-filhos-do-roberto-carlos-conheca-a-familia-do-rei/174740/

ラファエルは1965年(ロベルト・カルロスが最初の結婚をする以前)、
モデルだったマリア・ルシラ・トーヒス(Maria Lucila Torres)の
私生児として生を受けました。

マリア・ルシラは別れたロベルト・カルロスに
連絡することなくラファエルを一人で育てました。

ラファエルによると、少年時代から母親に
「お前は実はロベルト・カルロスの子供だ」
と言われていたそうです。

でも、ラファエル本人はそれを信じず、
「どうせファンの戯言だろう」と思っていたのだそうです。

しかし母親はラファエルが成人してからも
その言い分を変えることはなく、

やがてその母は癌を患い
余命を宣告される中、

「私はもう永くない。ロベルト・カルロスとコンタクトを取りなさい」

と、半ば遺言のように言ったのだそうです。

そこでラファエルは、母の最期の願いだからと、
でも体一つでは近づくこともままならないだろうと、
弁護士を引き連れてロベルト・カルロスとの面会に漕ぎつけました。

するとロベルト・カルロスは

「確かに若い頃君のお母さんと付き合っていた。
ただ、私のところへは
これまでも多くの人が私の子供であると言い張ってやってきている。
その度にやっていることなので、
すまないが、DNA検査をさせてくれ」

と言ったそうで、
それに応じた結果、
父子関係が認められ、

わずらわしい手続きを経て、
ラファエルはロベルト・カルロスに認知されるに至りました。
ラファエル、25歳のときのことです。

そしてラファエルは自らの新しい身分証明書に
ロベルト・カルロスの姓である「ブラーガ」が
付け加えられたことを母親に見せることが出来、
安心した母マリア・ルシラは
それから3か月程で息を引き取ったのだそうです…。

それからは、
当時はまだ全員健在であった異母兄弟達とも
「兄弟」として関わり合うようになり、

ラファエルの子供が生まれた時なども、
ショーが終わるや病院に駆けつけるなど、
ロベルト・カルロスはしっかりと
「良いおじいちゃんっぷり」を発揮しているとのことです。

この ↑ 経緯について語るラファエルの
インタビュー動画


結局ロベルト・カルロスの存命の子供は
ラファエルとルシア―ナの二人きりとなり、

血の繋がっていないアナ・パウラは子供がいなかったのですが、
亡くなった息子、ドゥドゥ・ブラーガの忘れ形見3人を含め、

ロベルト・カルロスには合計7人の孫がいるそうです。

👶👶👶


こちらはドゥドゥ・ブラーガの忘れ形見の
ラウラ(Laura)ちゃんにチューする
ロベルト・カルロスおじいちゃん♪

https://cartaodevisita.r7.com/conteudo/20377/roberto-carlos-na-melhor-fase-de-sua-vida-se-prepara-so-para-as-mulheres

エスピリト・サント州カショエイロ・ド・イタペミリン市にある
ロベルト・カルロスの生家。現在は博物館になっているそうです。

                                                                                   https://pt.wikipedia.org/wiki/Roberto_Carlos

それにしてもロベルト・カルロスの周辺には
若くして亡くなってしまう人が多すぎます...。

これだけ名声を得て、多くの熱狂的ファンがいる人です。

多くのやっかみや嫉妬心なども渦巻いていることでしょう。

ロベルト・カルロス本人も子供の頃に事故に遭ってはいますが、
元来強い守りの力が働く強運の持ち主であると思われます。

そのような場合、
渦巻く良からぬものは、本人の周りにいる
より弱い人に害を与えてしまうことがあります...。

スピ好きな私の勝手な思い込みかもしれませんが、
今回これらのことを知り、そういった良からぬ力の
影響が少なからずあったのではないかと思ってしまいました…。

もうこれ以上不幸が起きることなく、
ロベルト・カルロスが余生を平和に過ごせることを
願わんばかりです。


本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!

※ 「調べてみよう!電球」はこたつぶとんさんの作品です。


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