2024年のはじまりと里帰りで思ったこと

あけましておめでとうございます、とは言い難い2024年。
北陸地方で犠牲になられた方、海上保安庁の飛行機搭乗者へ哀悼の意を表するとともに、怪我された方のご快癒、みなさまの無事を心よりお祈りしています。

下書きにずっと溜めていた記事があるので、ぼちぼち仕上げていこうかなと。
遡ることおよそ半年前、里帰りでの心境の変化です。

※状況に若干フェイクを入れています。

出産までの1ヶ月、そして産後1ヶ月半ほど実家にお世話になった。
母との関係はこれまでの記事のとおりだが、今回の長期帰省で心境の変化が大きかったので記録しておこうと思う。

1.心境
結論から言うと、わりと居心地が良くて帰るのが惜しかった。
正直完全に休めたかと言われると、気を遣って少し無理していた部分はあったかもしれないが、昼寝や夕寝しても怒られることはなく、寝れる時に寝なさいのスタンスで過ごせた。

2.事故
外出時は実家の車を借りて生活していたが、自分の家に戻る日、よりによってこんな日に駐車の際に派手な傷をつけてしまった。
対人ではないため、もちろん私が実費負担での弁償をしたが、修理期間が約1ヶ月。つまりこの間は代車生活を余儀なくされる。
これは無視されてもおかしくない状況とディーラーで胃が痛くなった。
意外なことに「対人じゃなくてよかったね。大きな事故にならなくてよかったよ。実費さえ払ってもらえれば別に大丈夫なので気にするな。」と言われてびっくりした。
今まで何かミスをするとネチネチと責められる言葉を浴びせられ、しばらくの期間無視をされ、胃が痛くなったものだが、こんな言葉をかけてもらったことがなくて正直オロオロしてしまった。
と同時に、子ども時代にこういうフォローをされていれば…となぜか悔しかった。

3.無視
思いのほか楽しく過ごしていたが、子育ての方針で対立し、3日ほど無視された。
下手に出て意見を伝えたつもりだが、全く聞き入れてもらえなかった。
見えない部分で調整をして我が子を守ったが、
こんなに短期間で済んだのは、無視されて2日で親戚が来て家の空気が変わったからだ。あのタイミングの訪問に感謝しかない。
これだこれだと胃の痛みを思い出して、私はこれを何回も耐えてたのか…あんな小さい時に。と可哀想になった。

4.たらればだけど…
3以外の部分では初めて自由に過ごせたかもしれない。
コロナ禍や子育てで、今までなんなくこなしてた遠距離帰省の難しさや近くに実家がない環境が過酷であることを知った。
そしてわりと信用していた義両親が思いもよらぬ行動をしようとして(未遂だった)不信になったのもあり、近距離実家のサポートというのは本来どれだけ有難いものなのかというのを感じたと同時に仕事復帰が恐ろしく感じている。

昨年の現時点ではあんなにもトラブルを抱えていたのに、このタイミングでこんなに優しくされて正直心がついていかない。
とはいえ、養ってやってるんだからと進学、就職、プライベートに思いっきり口を出されて学生時代の自分が耐えられるわけが無い。
数年前に地元に求人があり、転職活動をするか検討したこともあったが、転職なんて論外と20年以上言い続けていた親に当時そんな相談もできるはずがなかった。
今になって「やってみればよかったのに」と言われてとてもモヤモヤしている。
子育てするうちに意外と自分が今住んでいる場所に愛着がわかず、何度か地元駅を訪れる度にやっぱり地元が好きなんだなと酷く後悔している。
とはいえ、地元にはトラブルメーカーの父しかおらず、戻るには家を売って子どもの手が離れて離婚して就活成功しない限り不可能であるが…。

人生は選択の連続でそれがひとつでも違うと大きくその先が変わるのだなとは思うし、育休明けには綱渡りの共働き生活が待っていると思うと胃が痛い。

まとまりがなさすぎですが、里帰りにより、たらればを垂れ流して苦しくなってしまっている自分がいるというのをつらつら書いてみました。
下書きを書いてた時はそれはそれは心が乱れていましたが、気持ちの整理は少しずつできてきたかなと思います。