アニメ好き ≠鬼滅好き

突然だが、私の趣味は漫画アニメを見ることだ。
アニメが好きだというと、必ず返ってくる言葉がある。

「鬼滅好き?」

残念ながら鬼滅は履修していない。正直に伝えるとそこで会話は終了してしまう。ここ一年何度もこの質問をされた。当然、空前の大ブームとなった「鬼滅の刃」だから見てて当たり前。アニメ好きなら尚更、という話なのだろう。普段アニメを見ない母からも聞かれた。

捻くれた人間なので「鬼滅の刃」のなにが面白いんだと食わず嫌いをしていた。こうなったら見るもんかと意地を張っていたのですが、母から「鬼滅面白い」とオススメ(という名の圧力)された。コロナの第一波から遅れること2020年の冬にアニメを視聴。無限列車は母と一緒に見に行った。しかも4DXで。

初見は、面白さが分からなかった。一つ言い訳をさせてもらうと、ウツ気味で著しく共感能力が低下していた。無限列車は煉獄さんが死闘の末、亡くなるシーンに目が潤んだ。しかし、1番心にきたのは別のシーンだった。

「何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ」
煉獄さんの死を見届けて大粒の涙を溢しながら、炭治郎が呟くシーンだ。

このシーンは心が張り裂けそうなほど辛かった。炭治郎が自分の無力さを実感し、何もできない不甲斐なさを実感する場面。当時、適応障害で休職していた自分と重なるものがあった。自分は成長したつもりでも、そんなことはないと実感させられるのは、想像以上にダメージがでかい。私も仕事に慣れたつもりでいたが、なにをやっても上手くいかなかった。会社のトイレでこっそり泣いたのも数えきれないほどあった。スクリーンの炭治郎にそんな自分を重ね合わせていた。

炭治郎は伊之助や善逸ともに鍛錬に励もうと鼓舞し映画は終わった。漫画の中の人間だし、ストーリーを続ける上とはいえ、彼らは強いなと思った。私が炭治郎だったら心が折れてしまう。家族がある日突然、惨殺された時点で生きる希望を見出せないだろう。

鼓舞し合う炭治郎や仲間の善逸、伊之助を見て、私はワタシのペースでやっていこうと思った。
お前は頑張らないんかーいって感じでしょ。生身の人間はそこまで強くない。漫画のキャラクターみたいに強くなれたら、いいのにね。ただの人間は自分のペースでやっていくしかないのだ。
それでもアニメを、炭治郎達の闘いを見てしまうのは、現実にはない何かを見たいからだろう。

無限列車がテレビで初放送されたが、それまでに総集編と無限列車を3回見た。原作は読んでいないがアニメなら好きですと名乗るくらいの人権は得たと思う。
今は鬼滅の刃が好きだと思う。必死に闘うキャラクター達に共感できるようになったから。無限列車初見は、なぜ煉獄さんは登場したばかりなのにすぐ死ぬんだろうと疑問だった。今となっては、煉獄さんの死ぬシーンを見て涙を流せるくらいには成長した。
人間から共感を得るには、エピソードの共有が大事なんだと実感した。

10月から始まるTV版無限列車と12月から始まる遊郭編はとても楽しみだ。TLのオタク達と新情報に盛り上がった。この一年、鬼滅の刃に触れない日はなかった。ネットニュース、Twitter、コンビニ、スーパーどこにでも鬼滅の刃はあった。

鬼滅の刃を通して学んだことは2つ。
人間は自分の無力さを実感させられると想像以上のダメージを受ける。
エピソードを共有すると共感が得やすい。

捻くれた人間ですまんな。
あとアニメ好き=鬼滅好きとハナから決めつける人間はやっぱ好きになれない。

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