SM観

SMとは何か、というと、人によって全然違うと思います。

20年ほど前は、SMというと主従を指すことが多かったと思いますし、当時も、そういう議論がありました。日本のSMって、どちらかというとDSだよね、と。SMは、Sadist/Masochistの略で、DSは、Dominant/submissiveの略です。外国では、一言で言うと、SMは肉体系、DSは精神系と別れていると思います。最近、SNSが発達するにつれて、主従という言葉は普及し、それにつれて、SMは本来の意味を持つようになっています。そして、それとは別に、バチボコ界隈、縄界隈、スパ界隈、グリグラ界隈というのも登場して、多様化するとともに、わかりやすく、人が分類されてきたと思います。そして、実際、あまり人が交差することがないところもあります。

その中で、SMって、プレイ中は主従の上下も持ち、一部、縄やバチボコの手法を取り入れる面をもちます。それは当然で、全てはSMから派生しているからです。

SMとは何か。難しいですが、僕は、比較的従来のSM観を持っていると思います。

まず、秘め事であること。SMショーは別にして、縄界隈のように堂々と公の場でプレイすることはないです。それは当然で、基本的に本気の行為が含まれるからです。緊縛が本気ではないということではなく、やはり、人間関係もあり、苦痛を与える行為もあり、性行為もあり、欲情剥き出しの行為を実践するからです。ある意味、セックスを人前でしないというのに近いと思います。

次に、リスクを回避すること。最近のバチボコ系はリスクがあり過ぎるので、おそらく、その点でSMとは一線を画していると思います。もちろん、身体に苦痛を与えるという意味で、SMでリスクのないプレイはないと思いますが、それでも、一定のリスク以上の行為はしないということが暗黙の了解になっていると思います。若い女性に対する腹パンも、将来内臓、特に女性特有の臓器に傷を残す可能性がありますし、首絞めも、確実に脳にダメージを残します。こういう行為を本気でやることはあまりないです。

そして、ある程度の苦痛を伴うこと。快楽責めはSMか、ということがよく言われますが、苦痛を伴えばOKかなと思います。苦痛を伴うので、当然全てのプレイに様々なリスクはあります。それにはできるだけの対処をし、一定以上のリスクのあるプレイはしません。

僕にとって最も重要なのは、実はM女性との関係性かもしれません。なんでもできればいいというものではありません。それなら、風俗の女性とプレイしている方が実は簡単で、費用も安く済みます。逆に、M女性だからと言って、相手は誰でもよく、なんでもされたいわけではありません。お互いの信頼関係は必要ですが、それは最低限のことで、もっと深い情が必要だと思っています。もちろん、何度も関係するにつれて、情が深くなっていっても構いません。
プレイ面でも、お互いに、したいことやされたいこと、したくないことやされたくないことがあります。それらの希望が沢山一致している方が相性が良いでしょう。
単純に、過激なことができるだけがSMではないと思っています。M女性は未経験かもしれません。その場合は、苦痛レベルを徐々に上げていくようなことをする必要もあるでしょう。信頼できるパートナーがいれば、次第にプレイが深くなってくる過程も楽しむことができます。

SMとは、人間関係から始まって人間関係で終わる、そういうものでありたいと思っています。



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