【連載小説】妖と結婚したら加虐者だった話1【妖の加虐者】
「 あっ……ああっ!!! んんっ!!!」
「ほぉら、がんばらなあかんよ」
部屋の中にある大きな木の枠組み。
二畳ほどの広さを囲うように作られた、まるで部屋の中の壁のない部屋のような塊の中に敷かれた布団の上で、私は、大きな二つの紅い角の付いた、まごうことなく人ではない彼の上で腰を振っていた。
――それも、木の梁からぶら下がる細長く大きな布の端を首に巻かれて。
「あっ……ぐっ……んんっ」
「苦しいと締まるんなあ。かあいらし」
布の端は彼の手首に巻かれたのちに、扱いやすいように握られている。
まるで操り人形のように、彼の思う速度に合わせて引っ張られる布。
抗うように動けば、息の止まる苦しさが襲い掛かる。
激しく上下する腰と、彼の笑い声。
中をこすられる気持ちよさ、そして酸欠で頭がふわふわする。
くるしい、はずなのに気持ちがいい。
「……ん、そろそろええかなあ」
彼は紐が手から離した。
途端に引っ張るものが無くなった私の身体を受け止め、首から手早に布を取り去ると、上に乗っている私を押し倒し、そのまま最奥をえぐるように強く腰を打ち付けている。
「あっ……あああっ!! イく、イっ……ンンンっ!」
「んっ、出すで……ッ!」
私の絶頂と共に、彼の動きが遅くなり、まるで余韻を楽しむようにゆるやかに動き出す。
「よおがんばったね」
「はい……」
「身体に違和感はない?」
愛おしそうに、私の汗ばんだ前髪を、顔にかからないように微笑む彼は、私の結婚相手だ。
私達がこうなったのには、理由がある。
【第一章 崩れ去る日常】
喉の奥から血の味がせり上げてくる。
もう体力なんて残っていない。それでも、足を止めた先に何が残っているのか、考えるよりも先に本能がわかっていた。
額から滑り落ちる汗で目が痛い。今朝、顔に張り付けたファンデーションが溶けて、視界が白くぼやけている。
「はあ……! はあ……!」
後ろを振り向くと、私を追いかけてきていた謎の黒い蠢きが、壁を這って、空間を包み込むように迫ってきていた。
「うそでしょ……!」
私は中華街の小さな通りを抜けて、目の前のビルへと飛び込んだ。
人前に出るわけにはいかない。私を追って、見知らぬ誰かが飲み込まれてしまうかもしれない。あの闇を具現化したような“何か”に。
飛び込んだドアの「取り壊し予定立ち入り禁止」と書かれた紙が、荒々しくドアを開けた衝撃で地面へと落ちた。
横目で後ろを確認するも、視界にはあの蠢きはいない。
きっと、私の姿が見えていないのだから、追いつけないはず。このままどこかに身を隠して、じっと息をひそめて、時が過ぎるのを待とう。
埃臭い廃ビルの廊下を、月の明かりだけを頼りに進んでいく。二階までの階段は登れたが、それ以上は崩壊していて上がれなかった。長居は、建物が持たないかもしれない。そんな恐怖を感じさせる建物は、あちらこちらに亀裂の入ったコンクリートから、カビの混ざった水のにおいが立ち込めさせている。
腕時計が指し示す時間は深夜二時。残業を終えて、最終電車で帰宅して約二時間。私はずっと走り回っていたのだ。
疲れた体が休ませろと、足取りをひどく重くする。だが体は絶対に気を抜くなと、視界が開き眠気なんてものはなかった。
二階の奥深くまで歩くと、夜逃げした後のオフィスのようなものがあった。デスクも、パソコンも、埃をかぶってそのままだ。
ここならきっと隠れられる。私は奥へとゆっくりと音をたてぬように歩き、大きな机の下へともぐりこんだ。
すぐ横の社長室のプレートが、月明かりに怪しく反射している。蠢きが追ってくる気配は無く、静寂と安堵に包まれた。やっと鼻から酸素が入り込む感じがする。走ってる間、どうやって息をしていたかも思い出せない。ひどく頬があついのに、上せている感じはしない。
仕事終わりに家に帰っただけだった。何かおかしなことはしていない。別に、祠の封印をといただとか、何か知らない土地にいっただとか、黒猫の死体を見ただとか。そういうものは一切ない。
ただ私は、朝の八時に出社して、パソコンと向き合ってそのままずっと終わらないシステム作りをして、急な仕様変更に頭を悩ませて、そして残業して帰っただけ。いつも通り、何も変わらない。ただの社畜の一日。
すっかり酔っ払いと寝ているサラリーマンしかいない、がらがらの電車にのって、疲れた体で何とか帰宅して、家賃五万五千円の安いワンルームのドアを開けた瞬間に、目が合ったのだ。
いや、目が合ったなんてことはない。あれに目などない。だが確かに私に気が付いて、私に意識を向けたはずなのだ。黒い、どろりとした、スライムのような闇の塊。それが私の部屋を食い散らかしていた。実家から持ってきた思い出の詰まったアルバムも、家電もベッドも荒らされて、一瞬しか目に飛び込んできた情報だけでわかるほど、部屋は家を出た時の様子を保っていなかった。
”蠢き”は私に気づいた瞬間、奴は追ってきた。
何者かもわからない、理由もわからない。ただ飲み込まれてはいけないことだけは本能でわかった。
私は低いヒールのまま、そこから全速力で走って今だ。足の甲と、足首がひどい靴擦れで痛い。きっと走ってるうちには、もう血まみれの状態だったはずだけど、その時は必至すぎて気が付かなかった。
ストッキングが破れて、靴の内側のクリーム色の中敷きに書かれた文字が読めなくなるほど血が付いている。
鉄製のデスクが身を守る中、私は膝を抱えた。
どうかもう終わりますように。なにがなんだかわからないけど、またいつもの毎日に戻れますように。今夜の事はもう忘れてしまうから、お願い神様。いるかどうかなんて、わからないけど。
こんなことになるなら、あの時給湯室で会社で私の悪口を言っていた同僚の目の前に現れて、ガツンと言ってやればよかった。お前の仕事がずさんだから私が残業してんのに、なんでそんなこと言われなきゃならないんだって。
課長と同じ部署の子が不倫してるの気付いてるのも言えばよかった。職場内でイチャイチャしてるせいで、みんなどんな顔していいかわかんなくなってて不愉快だとか。
あとは、私を振った元カレ。私の親友と浮気してるのを責めたら、私が仕事してばっかだからとか言ってたけど、それは浮気して良い理由にはならないだろって。全部言えばよかった。全部黙っていた後悔が、今になってふつふつとわいてくる。
まるで走馬灯だ。それも、かなり嫌な類の。
まだ死ぬわけにはいかないと思っているのに、ふっと頭に色んな負の記憶がよみがえっていると気が付いた私は、意識を散らすために少しだけ机の下から見える範囲に目線をやった。
その時、微かに空いた鉄製のデスクの下から、黒い何かが見えた。
「ひッ……」
声にならない悲鳴が喉笛を押しつぶした。逃げる間もなく、だんだんと体を沈み込ませるようにまとわりつく、何か。
なんで、どうして、私がこの建物に入るのは見えなかったはずなのに。
疑問が頭を支配しているのに、恐ろしさで声も出ない。
断末魔の叫び、なんてよく言うけど、本当に理解できないものに人は遭遇して、そうして命を不条理に刈り取られるとなると、人は最後の一言なんて出てこないんだなと思う。
私の首に競りあがってくる黒い何かが、体を包んでいく。生暖かくもなく、だけど確かな不自由を与えてくる。指先一つ動かせず、私の首筋までそれはのぼってきて、私を完全な闇へと引きずり込もうとしている。
ああ、飲み込まれる前に、もっと楽な仕事して、人生を謳歌すればよかったな。次に生まれ変わったら、もっと好きな事を言って、好きな事をして、いつ死んでも後悔なんてしないようにしよう。もっと好きなものを食べよう。会社近くのスーパーの、期限の近い割引品の、しょっぱすぎるミートボール弁当が最後の晩餐だったなんて嫌だったな。
次があるかはわからないけど、あるとすれば、愛されて幸せで、今よりももっと自由に生きよう。
そう思った矢先だった。社長室のプレートが、ギラリと月光を跳ね返し、私の視界を白く奪った。
「また、面白いものに憑かれてはるねぇ」
「……!」
社長室から出てきたであろう、柔らかく低い声の男。夜のようなインディゴの長髪、柔らかく微笑む口元、赤い瞳。
そして――、大きく鋭い二本の角。
「ふふふ、助けたろうか。僕と契約しはったら、助けたるよ」
男は私に手を差し伸べた。真っ黒い手袋越しでもわかる、細い指で。
「少なくとも、今よりはましやと思うで?」
こいつも、人ではない。大きな角と尖った歯を一目見ればわかる。
だけど、鬼とか悪魔とか、まだそういうものに殺された方がいい。こんな訳の分からない死に方してたまるか。
もう口元まで、黒い闇は私を飲み込んでいる。私は藁にもすがる思いで、彼を見つめながら、差し伸べられた手に額を押し付けた。
「んーーーーー!!!」
「それは契約する、ってことやね。ええよ、僕が君を守ったる」
男はそう言うと、手を黒い靄の中に突っ込む。
そしてもぞもぞと中を探ると、”蠢き”はたちまち爆ぜた。
散り散りになって、あっという間に泡のように消滅した謎の闇。あまりのあっけなさに、私は放心してしまって、すぐに身動きを取れなかった。
「人の子はもろいなあ。あんなものにも手も足も出せへんなんて。」
男はそのまま、私を肩へと担ぎ上げると、宇宙のような柄の長い上着をはためかせながら、社長室の扉を開けて、中へと入っていった。
writer:マゾ猫
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