気が合う人は顔が似てくる
仲間づくりでわかってきたこと
自分で舞台を作り始めて5年目になりました。コロナ禍はつくれなかったから3年間で6回公演を行ったことになります。生徒を引き連れての発表会や自分たちだけ盛り上がるパフォーマンスではなく、作品を創ってきたつもりではありましたね^ - ^
それはゼロから形にしていく作業で、これだけやってみて一人でやる無謀さがよくわかったけれど、気が付いたらやっていただけで、とにかく舞台を作りたい一心でここまでやって来ました。
発想、企画、出演交渉、宣伝、広告、スタッフ交渉、構成、演出、衣装、広報、事務、出演、財務
何から何まで全部やったのはほんとにいい経験で主催者の苦労が良くわかるから、人のプロジェクトに心から協力できるようになったんだと思っています。
一番大切なのは人
当たり前かもしれませんけど一番苦労したのは人です。そして恵まれたのも人でした。
最初の頃は舞台にのりたい!うれしい!という人がやってくると喜んでくれるのがうれしくてすぐにOKを出してしまい、人が増えすぎて出演料だけで赤字になっていたんです。
出演料は自分のこだわりでどうしても出したいとがんばりました。ずっと師にお礼を払いながら「舞台に出られる程の実力はありませんが」と申し訳なく思いながら舞台に立ち続けていると生きてるのが申し訳ないくらい自己肯定感がなくなっていくというのを経験しているからです。
もっと胸張って踊りたかったし、自己責任で舞台を立っていたかった思いがありました。だから、過去の自分に出しているつもりで出演料はムリしてでも払い続けたのです。
思いを伝えて共振する人を見極めることが成功の秘訣
そんな思いをしながら、食費削って、生活費削って、払った出演料は必ずしも同じ重さで相手に届くわけではないと徐々にわかってきました。どんな舞台、つまり世界観をつくっていきたいかを伝えて、共振した人にしかその重さは伝わらなかったんです。それは舞台全体のメッセージ性をも左右することでした。
だんだん人を見極める目と判断力、決断力がついてきて、ほんとうにお互い共振できる仲間と舞台をつくれたのが、つい一週間前のことです。
そのときに周りから言われたのは
「雰囲気が似ている」
みんな年齢も、性別も、性格も全然違うのにそう言われました。総じてピュアなんだそう^ - ^
そうかもしれません。自分に共振する人は意図の純粋性をバカにせず寄り添ってあげたいと思ってくれる人たちでしたから。顔が似てるんだね、と言われて実は全然似ていないんだけど、でも確かに似ています。気が合う人は不思議と顔が似てくるんですね。