舞台を作るときはいい顔ばかりじゃダメだった話
理想に突っ走っていたころ
自分で舞台を作り始めたころの話をしようと思う。
行動力は人一倍あったので、一年前に舞台を予約して助成金申請も通り、企画構成、広告宣伝、何もかも一人でやりながら人に会えば出演依頼をしていた。
やる気を出してもらいたくて出演者にはきちんと出演料を支払うつもりだった。その分だけ本気で取り組んでもらえると信じていた。
当然ながら、みんな喜んで出演を承諾した。会う人会う人みんな喜んで感謝してくれる。それがうれしくてどんどん声を掛けたり、その人が連れてきた人を承諾したりしていたら、おかしなことになってきた。
理想と現実の狭間に気づき始めた時に胸を突き刺さった一言
わたしは発表会をするつもりはなく、作品を創るつもりだった。大きなテーマに沿ってそれぞれの持ち味を生かしながら統一感のある舞台。最初に舞台の趣旨を説明したつもりだったし、それを踏まえて承諾したものと解釈していた。
ところが、全く関係ない曲や衣装で自分たちのやりたい踊りを主張してきたのだ。バシッと却下出来れば良かったのだけど、キッパリ言うことがわたしには出来なかった。2部構成にして、この団体は発表会ってことで区切ってもいいか。そう妥協案を出した時に相談に乗ってくれた舞台監督さんが言った。
「あなたは交通整理係ではありません。自分の世界観を語りみんなを巻き込んでいかなければいけません」
胸に突き刺さる言葉だったけど、まだわたしは迷っていた。そのうち要求がどんどんエスカレートしてきた。挙句に人数が足りないからあなたも一緒に踊って欲しいと言われたとき、わたしの中で何かがプツンと切れた。
理想を貫くということはイエスマンをやめること
丁重に断った私にその人は言った。「主催者なんだからそのくらい我慢してよ」彼女は何の気なしに言ったからもう覚えていないだろう。でも、主催者の捉え方が全く違うことをまざまざと見せつける出来事だった。彼女にとって主催者とは興行主のことだった。わたしは自分が踊ってつくる世界観を仲間と共有したかったのだ。
彼女が悪いとは思わない。ちゃんと説明しなかった(気づかなかった)のはわたしだし、途中でNOと言わなかったのもわたし。公演予定日まで半年を切っていてそれなりに構成も定まってきていた。
毎日毎日具合悪くなるような恐怖の日々だった。苦しくてギックリ腰になった。でもそれでもわたしは決断した。人生を振り返って胸張って創ったといえる舞台はどちらかと言ったら答えは明白だったのだ。舞台監督と出演者のどちらが真に舞台のためを思っているのかも明白だった。
それぞれの役割があることを知った夜、リーダーは決断しなければならないのだとわかった
彼女は集団のリーダーで可愛い生徒たちのために当たり前の主張をしただけだろう。でも舞台の趣旨には合っていなかっただけだ。わたしは何通もお詫びの手紙を書いて彼女に渡した。舞台に立つのを楽しみにしているその子たちの笑顔も知っている。彼女の態度は氷のようだったけどそれも当たり前で、安易に誘って許可した自分の軽はずみな行動が身に沁みた。
真夜中までかかって全てをゼロに戻した。これから先どうなるのか、そのときは当てもなく舞台が無事に幕が上がるのか想像もつかなかった。半年後の舞台が大事な思い出になるなどわかるはずもなかった。忘れないでおこう、もうこんな思いはしたくないとただただ自分の愚かさを噛み締めていた。
誰でも負担なく楽しい思いが出来るなら喜んで参加するのは当然だろう。でも自分は創りたいもの、目指したい世界があった。妥協するつもりがないなら、はっきり厳しく見せないといけなかった。あんまり楽しくなさそうだからいいと言われても怯んではいけなかったのだ。
これは3年前の話である。今、共に出演する人を選択する時に冷静に考えることができるようになった。友人だからとか、相手が舞台に立ちたがっているだけでは選んではいけない。当然だけど一個人で舞台を作るときには勇気のいる決断なのである。
「交通整理係ではありません」
この言葉は戒めにも励ましにもなっている。自分が美しいと思う世界を創造していきたくて踊っているなら舞台をつくっていくなら覚悟していかないといけないのだ。