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父の死から3ヶ月経って今
まだ3ヶ月しか経ってない
父の死から3ヶ月経って今の心境を振り返ってみることにしました。
長いなというのが率直な感想ですね。
会社の業務、
法人登記変更手続き、
相続手続き、
実家の名義変更手続き。
法務局、税務署、年金事務所、銀行、あっちこっちに日参しつつ、会社の経営は決算期で目まぐるしい毎日でした。
悲しんでいる余裕はなく、プレッシャーを感じる暇もなくこなしてきた感じです。
踊りがあって良かった
踊りという支えがあったからこそ乗り越えています。
2月、3月に公演があり、6月には路上演劇祭で3つの作品に関わり、4、5月はその打ち合わせやリハーサルに打ち込んでいました。
これから先のパフォーマンス予定もあり、踊りがやるべきことをやる原動力になっていることを痛感しています。
人生がますます身近になった
もともと幼い頃から生死を真剣に考えて生きてきました。
性格が似ていて、裏表がないので考えていることが丸わかりの父と20年、会社に携わってきました。最後の2年間は体メンテナンスを任せてくれて、不安な気持ちを赤裸々に曝け出してもくれました。
どんなに親しくてもここまで他人の人生を共に味わうことはこれからもないでしょう。
ある意味、人生を一度やり終えたような気もしていて父の人生でわかったことがあります。
人はどんなに年月を生きようと死ぬのは怖いということです。
なぜなら未知だからです。
どんなに言葉を尽くしても死後は未知のままで、人類はわかることはないでしょう。
わからないものは怖いままなんです。
小学三年の頃、死ぬのが怖くて怖くて、気が狂うほどに一年間恐怖して、フッと怖がるのに飽きました。
どうせ自分を安心させる答えを得ることは期待できず、怖がっている時間が勿体ないなと思えてきたんですね。
半ば諦めの境地になりました。
今回、死はますます身近になり、どこまでも未知なのだという気持ちも強くなり、むしろ落ち着いてきた感があります。
いつのまにか、年齢を重ねてきたけれど、最期までわからないものであるのだろう、それならそこまで心豊かに生きたいものだと思っています。
どう生きたいかを常に問い続ける
今、金網屋を継承しながらも頑張らないようにしています。
踊りや指導も心が喜んでいるかどうかを基準に関わるようにしています。
体メンテナンスで内部の声に耳を澄ませても、鍛えて能力を高めようとは思いません。
誰しもが死に向かって生きていきます。
長短はあれど致死率は100%です。
そう考えるとちっぽけな悩みでクヨクヨしてる暇はないとも言えるし、悩んで過ぎていくのもありだよねとも思えてきます。
要は自分が納得してればなんでもいいんですね。
あぁ、なんでもいいんだな、常識なんかどうでもいいんだなって、そんな心境になっています。
自分に対しても周りに対してもずいぶんと寛容になりました。
なんでもあり。
ただ自分を見失わないで生きましょう。
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