大地を踏みしめて立つ
生まれた町はアスファルトで舗装された都市。地面がほとんど見れない町内で、学校や公園には土があったけど、自然ではなかった。
隣町(といっても目の前の信号を渡って目の前)にある公会堂で3歳からバレエ教室に通い始める。
そこは現代舞踊の創始者、石井漠の義妹、石井小浪の内弟子だった佐藤典子先生の支部教室だった。
親はそんなことは全然分からず、バレエを習わせたくて入れたらしい。
私は妄想家だったので、別世界に入っていくのが楽しくて、それがモダンバレエかクラシックかなんて気にしてなかった。
なにより裸足になれるのが嬉しかった。
こころも身体も束縛が苦手。「わたしを束ねないで」の詩をクラスの誰よりも早く暗唱できたくらい。だから、レオタードで裸足ですっごく気持ちよかった。
裸足で手脚を思いっきり動かして、ここは野原だよとか、風になりましょうとか、海の中、宇宙に行けるのは最高だった。
言葉が苦手で、人づきあいにコンプレックスがあったから、身体表現で思いやったり、人が好き、の方が表現しやすい。
踊りの中の擬似空間って、今の時代で言うところのバーチャル体験だと思う。運良く児童舞踊に出会ったことで多くのストレスを解決出来たんだとわかってきた。
「もっと大地を踏みしめて立ちなさい。」
「そういう足の使い方をしなさい。」
フワッフワ楽しく踊る私は大人になるにつれ、そう注意を受けるようになった。迷っているうちにフラフラ苦しげに立つ人になった。
立つことは何より難しく、また今の自分を映し出す。
ほんとに踏みしめて立つには、足の裏の感覚がしっかり張り巡られ、足首へとつながり、骨盤から背骨を通って頭頂に抜けていく、光のように細い線が通っている必要がある。
一番大切なことは力が上下に拮抗して働いていること。上下の矢印の出発点は丹田。腰。ただ動きによってはわざと移動させる場合もある。
それにしても、毎日立つことについて考え、チャレンジし続けて、未だに納得のいく‘立つ’が出来ないのだ。
一生納得しないで追究し続けるだろう。
‘自立’の示唆するものは深いなぁと思う。