表現三昧の秋を総括してみた
怒涛の三日間が終わりました
11月3日にフリージャズセッションに参加。
4日に街中の古い建物の中で現代舞踊。
5日は森林公園の野外舞台でコンテンポラリーセッション。
どうなることかと思ったが平常心で力みも生まれずやり切ることが出来た。頭で考えず、その時の感覚や感性で動いていったからだと思う。
3日連続は初めてだったので、この機会に振り返ってみることにした。
良かった点を3つ
・集中力が途切れなかった。
・それぞれ違う自分に会えた。
・伝えたい人に届けることが出来た。
要するに、今の自分のベストは尽くせたと思う。今回ジャズ生演奏、CD音源、弦楽奏、だった。
率直に言えば、CD音源、弦楽奏、ジャズ生演奏の順に踊りやすい。CD音源は練習しやすいし、展開も事前に考えておける。生演奏でも2人の時はコミュニケーションが成立できる。
既存曲は強弱がいつ来るか分かっていて、曲に合わせていけばいいという安心感がある。偉大な作曲家の考え抜いた間合いで動く分、負担は少ないけど面白味も半減するかもしれない。
生の音楽とのやり取りは、空白や間合いを恐れず、強弱のアクセントをつけて緩急自在に動くことがこれからの課題だと痛感できたのは収穫。
気持ちよく、思う存分踊れたのは古い建物での現代舞踊。気兼ねなく衣装さばきも悩まされず踊りに没頭できた。
古い建物での踊りを見てくださった方からのメッセージ
いただいたメッセージが余りに見事な文章だったので転載いたします。
↓
とても美しくて、感動しました。踊るのを観るって、こういうことだったんだなと思わせて頂きました。美の表現体としての肉体を磨き上げ、四肢の先端にも神経が行き届き、ダンスという表現分野の独立した存在感を威厳を持って知らしめてくれます。傍若無人で、音楽に合わせて勝手に揺れているだけの行為を舞と称しているようなものとは次元が全く違います。音楽を従え、踊ることでそれを昇華させる力を持っていて、観るものに訴えかけてきます。
絵画も音楽も、人が生まれながらに持つ衝動の美だと思いますが、踊るということもやはり人間の本然に根ざした柱となる美を希求する表現であり崇高なるものへの祈りなのだと痛感しました。大仰に思われるでしょうが、街かどで邂逅することができた真実の瞬間でした。
これからの踊り
場数を踏んでいくとその場を俯瞰してどんな表現が求められているか気がつき、自分の引き出しから取り出す事が出来るだろう。
緩急自在に動くためには呼吸と共に動ける自然体であること。これがますます必要になっていくだろう。
いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨