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内側から放たれたエネルギー

まとまりの無い、けれどもどこかに残しておきたい気持ちをここに記す事にしました。

今回はRIDE ON TIME#2と滝沢歌舞伎ZERO The Movie「Maybe」についての断片集です(断片集)






映画館で観た日からちょっと悔しくて、
全貌がみたいな、DVDドキュメントとかでみれるかな….と「Maybe」に少しもやもやした気持ちを抱えていたのですがROTがこんなにも真っ直ぐに踊っている姿をそのまま見せてくれて、本当に嬉しかった。

映画公開前、『滝沢歌舞伎ZERO2020 The Movie』についてのインタビューで見どころを聞かれる度に「Maybe」について話してるのを色んなインタビューで見かけていのでラウールくんがそれほどまでに話す「Maybe」をわたしはものすごく楽しみにしていたんだと思う。
そんな大切なシーンがあまりにも無造作に切り取られていて、他のシーンに変わってもそのことを考え続けるほどに私は悔しくなってしまった。(もちろんラウールくんのパフォーマンスも、阿部くんとふっかさんの歌声も素晴らしかった)

〉少し悲しかったのは「Maybe」のカット割り。
2人の歌声はとてもきれいで、あの緩やかな声とラウールくんの爆発するような踊りの対比がとても好きなのですが(佐久間くんがいなくてとても残念だった)渾身の踊りがあまり映っておらず制作側はどこを見せたいのだろう?と思った。創作ダンスは前後の表情や動きがないと、感情の繋がりが分かりにくいなと個人的には思っているので、映したと思ったらすぐ切り替わる映像に「踊り見せてくれる気あるの?!」という気持ち。曲のはじまりとおわりはラウールくんなのに、中身ほとんどMVみたい。 どっちをメインにしたいのか、それともどちらもメインなのか。それがよく分からなかった。どっちも勿体ない。



映画鑑賞直後の私の感想と下書き。

ちょっと怒ってます。(素直でよろしい)


それが今回のRIDE ON TIMEで観れた。
そこにスポットライトを当てて下さった制作の方たちに深く感謝。

お金を払って観たい、ラウールくんの創作ダンス。
いつかやってほしいな
ソロでダンスパフォーマンスだけの舞台。
コンサートでは無く舞台の粛々とした気配の中で彼ひとりが光のように表現する世界が観たい。

新橋演舞場で撮る映画という新しい試みが形になっていく瞬間を見ながらそんなことを思った。




ラウールくんは「表現者」なんだよな

踊ってる というよりは 表現してる
という言葉の方がしっくりくる

誤解を恐れずに言うと格好良さを追求するようなダンスがあまり得意ではないように見える
それももちろん上手ですが。
逆に「Maybe」や「花鳥風月」を踊る彼はものすごく輝いてるし、水を得た魚のように生き生きとしている。
いつも気持ちで踊っているのかな、と思った。
感情の乗る踊り。
「魅せたい!」よりも 「表現したい!」の方が強いように思える
格好良く踊ろうとしている時よりもその曲を表現しようとしている時のほうが私には輝いて見えるよ。

映画を観ながら、
あの後どんな表情をしてたのかな、あの動きの後はどう繋がってたのかな、最初はBPMが早い曲が苦手なのかと思ったけどそういう訳では無さそうだ、などあのカット割りの中で見えなかった部分や彼の踊りについてぐるぐると考えていた。

僕を見て!魅せたい!
という踊りとはまた違う…違う。

ずっと抽象的な言葉でしか書き表せないし、発言のソースなども引っ張り出せなくてもどかしいのですが…

ラウールくんの踊りは
「魅せられる」じゃ無くて「惹き込まれる」

何かと対にしたいわけじゃないのにこんな表現しか出来ないのがとても歯痒い。


ラウールくんとは反対に「おいで、見せてあげるよ。」っていうパフォーマンスをするのは佐久間くんかな、
楽曲の一部のように舞いながらも時折伏し目がちに、こちらをちろりと覗く感じがそう見える 
激しくパフォーマンスをしているけど、こちら側(客席側)のことも意識の「内」に入っている。

ラウールくんは憑依型というか、己の中に入り込んでその中で表現しているように見える。
その瞬間の彼にとって外の世界は視野の中に入っていなくて、
ただただ自分の感じたものを踊りという手段で放出しているような。

あくまでもわたしの勝手な想像と主観になりますが。


誰かが喜ぶものを作り出し、自分の表現がきっかけで人の感情を動かせたら……、それが僕の一番のやりがい。

『装苑』2021年1月号(文化出版局)


この言葉、すごくぐっと来たのでここにも残しておきましょう。
(最近のインタビューの中でも装苑はいい言葉が沢山あったのでお手に取れる方は是非、読んでみて欲しいです。)



ラウールくん自身の内側で何かとてつもない事が起こっていて、それが溢れ出た結果踊りになった。

RIDE ON TIMEで観た「Maybe」はまさにそんなふうに見えた

ラウールくんの踊りはなんか、「うわぁ…すごいもの観ちゃった…………」っていう
観ちゃった………感が強い。
もう二度と同じものには出会えない、幻に遭遇した時の気持ち(そんな経験ないですが)

たまたま、偶然、奇跡的に、


観ちゃった…




と莫大な光を受け取った気持ちになる。

佐久間くんは「素晴らしいものをみせていただいた…」となる。魅せる(見せる)という演者としての意識が強い人なんだろうなと私はお見受けしている。
(いつか佐久間くんの踊りについても追憶の断片集をまとめたい)


話が逸れてしまったけど今回RIDE ON TIMEでわたしの無念が晴らされた。
深夜のベットの上でひとり感嘆の声を漏らすほどには心を揺さぶられたし、涙がぽろぽろと溢れ出した。


「朝焼けの花」を観るとそういう気持ちになるのですが、それと同じように一瞬にして胸を鷲掴みにされる。
その人の意識がここでは無い何処かを見つめている瞬間に私は多分弱いのだと思う。




眩いほどの光を持った人





まだデビューして1年足らず。
これからきっともっとすごい光を放つのでしょう
その光の行方を見ていたいな。


本棚でたまたま並んでいた二冊。
これはラウールくん(概念)










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