毒姉の子供が歪まないように私がやったコト
私は姉にひどくいじめられた。
私が小1、姉が小4で転校してから姉は学校でいじめられていたらしい。姉は私をそのはけ口にした。
姉は言葉も暴力的でヤンキーなのかなと思っていたけど仲間と群れて外で何かをしでかすというタイプではなかった。言わば内弁慶な内ヤンキー。友達も作れず、私が友達と遊ぶのについてきて、私の友達をそそのかして一緒に私をいじめるという唖然とする程、人としてただのクソな姉だった。
小さかった私はその状況をうまく親に伝えることも出来ずにただ耐えた。
姉に万引きするのを見張ってろって言われた日には、親の注意を惹きたかったのか「今日ねー妹が万引きしたんだよー」とわざわざ親に報告。唖然として悲しくて「なんも言えねー」とはこのことで。
①自分から悪いことをやろうと誘っておき
②自分でやって
③それを妹がやったとわざわざウソの報告を自分から親にする
という、二重に裏切って罠に落とす。しかも自分の妹に対してという点で三重の裏切り。
…私よくこんな姉と仲良くしてたな😱
そんな姉が結婚して出産した時、私は子供のことが心配だった。だから影ながら口を出した。
姉が二人目を出産直後、上の子(女の子)を短時間預かった。真冬だったが公園にホースがあり、彼女は遊具に水をかけて遊び出した。「そんなことしたらお友達が遊べなくなっちゃうよ」と言うと「遊べなくなっちゃっていいもん」と上の子。そう、この子は分かってやっていた。むしろその為にやっていた。やはり姉の子、すでに病んでおる😱と思った私は、他の人もいなかったし、ここで正しいことを教えても病理が進行するだけだと思い、やりたいようにやらせてあげた。
そして帰る時、姉は水に濡れた服を見て、洗濯物が増えると怒り、上の子は泣き出した。
私は「この子はなんも悪いことしとらんわ❗️自分の手間が増えるからってこの子を怒らんといて❗💢」と怒ったら通じたようだった。姉の「風邪をひくから」というのはもっともだと思い、持ってる中で一番小さい私の服を着せて帰した。
そして上の子ヘの年賀状には
下の子に優しくしてね😇 出来ない時はママかパパに抱っこしてもらってね
と書いた。
その後、上の子の“人のモノを傷つけてもへーき”な行動は目にしなかった。上の子は姉のような“ヒドイ姉”にはならなかった。
姉は言わずもがな自分中心な人間で、自分の思い通りいかないとすぐ怒る。沸点が低い。思い遣りが稀薄。
なので、子供が自分でやろうとして時間がかかったり、失敗して散らかすと、まぁ怒る。
姉が下の子を出産中に上の子を預かった時、プリンのフタすら自分で開けようとしなかった。
私は、自分でフタを開けようともせず「やって」と言う上の子に「自分でやってごらん。出来るから。」とやらせた。見守りながら「ゆっくりでいいよ」と。そしてゆっくりゆっくりやって出来た。
「ほら❗️出来たじゃん✨」と私は喜んで、上の子はちょっとびっくりした様子だったような。
下の子が生まれて家に来る前に出来たのはラッキーだった。姉が下の子に手がかかっている間、自分でやることを何も教えてもらえてない上の子が放置される所だった。
「プリン開けて」→「今、下の子の世話で忙しい💢」→「下の子のせいで開けてもらえない💢」→下の子をイジメる
こんなループを止めることが出来たと思う。
そしてその頃、性教育にいい絵本を見つけたので、上の子にプレゼントした。すごくお気に入りで何回も読んで、声に出して親に読んで聞かせたそうだ。
「せっくすのえほん」
えと文 みずのつきこ (水野 都喜子)
かんしゅう やまもとなおひで (山本 直英)
(株)あゆみ出版
オススメである。
現在は出版元が違うようです↓
せっくすのえほん https://www.amazon.co.jp/dp/4864121540/ref=cm_sw_r_awdo_navT_g_5XJD95ADJVP1W53WH2XQ
https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=5335
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