この世って実は酷い所だった
この世のヒドイところ=親に愛されなかった子が自分を責め立てて追いつめて生み出したものを、芸術だとか文学だとかいって賞賛して消費するところ。
まるで人喰い鬼のような所業。
賞賛して経済まわす前に、不幸な親との関係から救い出してやらないといけないのでは?
経済的に成功したとしたって心の中心は一生不幸なままなら、幸せになりたいという人間の欲求を妨害する所業。
さらに酷いことには、脳の神経を物理的に切ってしまって、二度と回復できないようにする勢力がある。人の心の奥底からの幸せを妨害し尽くす所業。
人間は生まれてきた時には自分でおっぱいを飲むことも出来ないほど何も出来ない。だから親がまともじゃないと、いとも簡単に犬や猫より悲惨な目にあわせてしまう。仏教で畜生より下の餓鬼や地獄が存在しているように。
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こう考えると、人間は幸せになろうとしても最初から無理な人たちが存在していて、そういう人たちは慰めで生きていくことしか出来ない世の中なんだ。
私は漠然とそんな世の中を変えたいと思ってたんだなぁ。なんか無理そう。
無理だと思うと、全てが意味無く、虚しく思えてくる。
幸せって何?幸せになるためにはどうしたらいい?って探し求めて努力しまくってた高校時代の自分に教えてあげたい。あんたには慰めしかないよ。思い描いてる幸せなんて存在しないよ、絵に描いた餅だよ、手に入らないよって。
仏教でいう、天上界や人間界の人は普通に生きてたら幸せになれる。畜生に生まれた人は頑張った引き換えに人間界の“幸せ”が手に入るけど、楽チンでいることの“幸せ”は失う。
餓鬼や地獄に生まれた人は頑張ったって心の幸せは手に入らない。慰めを幸せだと思って生きるしかないってことなんだ。
ひとくちに“幸せ”って言っても、生まれてきたランクによって幸せって違ってたんだー。
慰めを求めてみんな絵を描いたり音楽を作ったり物語を書いたりしてるのか。じゃあそれを消費してあげるのは作った人の役に立つ行為なのか。
問題の解決方法を探したり、解決するべく頑張ったりしたくない人たちにはあらがえない。問題を作り出している人たちに止めさせることなんて出来ない。
昔テレビから聞こえてきた「傷口舐め合ってるだけだろ」って蔑みの言葉が物凄く耳に残ってる。慰めを幸せと思って生きるしかない人たちは、傷口を舐め合うのが正しいんだ。