地味に虐待
親や養育者に殴られたりすることだけが虐待じゃないんだ。(小学校では殴られるほど悪いことしてないのに殴られてた。教育目的とか言ってたけどあれも虐待。)
毎日毎日自分を否定され続けるのも虐待なんだ。一回のダメージは小さくても、1日に何回も、毎日毎日、反復・継続によってダメージが蓄積される虐待。(小学校でも中学校でも高校でもされてた。)
表面上は自由意思のつもりでも、2歳のイヤイヤ期と思春期の反抗期を完全にねじ伏せられていたら、自由意思なんて存在しない。
親の顔色をうかがった上でしか物を言えない。親が設定した囲いの中でしか自由に物が言えない。
だから子供部屋おじさん・おばさんがたくさん産出されたんだ。
追記:
2歳のイヤイヤ期は自由意思の芽生えなんだろう。お母さんがいいと言おうがダメと言おうが関係なく、自分のやりたいようにやる。それが自由意思。
イヤイヤ期に親に封じ込められると、いちいち「お母さんこれやっていい?」と聞かないと出来なくなる。
“お母さんに嫌われたくないから”いちいち許可を求めるってよく言われているけど、嫌われるとか嫌われないとか関係無いのでは。脳の回路がそうするように組まれただけ。
問題に正解すると餌がもらえることを学習したチンパンジーと一緒。
そういう子にとって思春期の反抗期は、かろうじて自立できる人間になれるかどうかの分かれ道かもしれない。
親は勝手なことをしない子供が可愛いし、子供を養うモチベーションになるだろうけど、本当の意味で自由意思を持たない子供が社会に出たら “何をしても文句を言わないヤツ”と思われて「もっともっと」と好き勝手に身ぐるみ剥がされるハメになるんじゃないのかな。
いじめを受けてもやり返せないとか。
会社で体壊すまで働いたり、自殺に追い込まれたりとか。
会社自体がさほどブラックではなくても、自分から奴隷になるコミュニケーション能力しか育っていない、そんな人をカモにしないでいられるほど世の中は善良な人ばかりじゃない。というか、上司や同僚は本人がキツイと思っているなんて気づかないかもしれない。何を指示してもこなしてくれるいい部下としか思ってないかもしれない。