ゆらぎの中で生きる人、そしてコミュニティ
こんばんは🌔
2024年12月14日、慶應義塾大学。
ご近所イノベーター養成講座の修了式が行われた🎓
卒論を1番のりで提出し、晴れて私もご近所イノベーターの12期生として無事卒業することができました🙌パチパチパチ
せっかくなので提出卒論をこちらにも✍️
(※note用に見やすいよう、改行を加えた)
はじめに:住んでるけれど暮らしていない人が多い港区芝地区
ご近所イノベーション養成学校講座内でも学んだ港区の実態。港区芝地区の居住者数は5万人だが、平日の日中人口は50万人と、10倍にもふくらむ。
”働く街”として事業者数も多い芝地区だからこそ、平日ランチ時には多くの飲食店の前にスーツ姿の人々の長蛇の列ができるが、飲食店が閉じている”ゴーストオフィス街”と化す土日祝日は、多くの道で人通りは少なくなる。その光景は、港区の掲げる「にぎわうまち」とはおそらく真逆であろう。
ご近所イノベーション養成講座の説明会タイミングで聞いた「港区に住んでいるけど、暮らしていますか?」という問いかけにはハッとさせられた。
結婚と同時に芝地区に移り住んで7年め。
このエリアを選んだ理由は「平日会社へ近く、通勤時間を減らして”暮らす”時間を増やすことができるから」だった。
ところが仕事のない休日、私たち家族は土日どちらかは電車に乗って芝地区以外、港区以外に出かけていることが多いのだ。
芝地区内にとどまることが、芝地区で暮らすことだとは思っていないが、それでもなお、住んでいるエリア以外の”何か”を求め、仕事のある平日になくしたいと思っていた移動時間を土日は増やしていたのだった。
・・・何たる矛盾!!!
何があれば、どんな地域ならば、土日もここで暮らせるだろうか?
未就学児の子どもが2人いる絶賛子育て世代の私としては、休日は子どもたち含め家族でたっぷりと過ごせるゆたかな時間。
そんな時間を満喫するため、よく芝公園をはじめ近所の公園には行くものの、カフェや飲食店が空いていないので休日だからこその”ちょっと特別な”家族の時間を満喫するには、まったくもって物足りなかったのだ。
日々子どもの成長を感じながらも、ふとした瞬間に逞しく育っている子どもを目の当たりにして感動するのが大好きで、芝公園だけでは家族の時間は物足りない。
まだまだ贅沢に刺激を求めているのだ。
第一章:複数ゲストスピーカーの講義から感じた違和感
そんなことに気が付きながらも、ご近所イノベーション養成講座では、津屋崎 山口さん、株式会社グランドレベルの田中さん、ドコモgaccoの山田さん、ゴジカラ村の吉田さん達の講義を受けたり、芝の家体験をする中で、常にちょっとした違和感があった。
それは、どの「コミュニティ」も「誰でも来れる”自由さ”」を謳うがために置いてけぼりにされている人がいるのではないか、ということであった。
誰でもウェルカム、というのは”公”である。ご近所イノベーション学校創立の背景には個人が自分のやりたいこと(=もろ私的なプライベート)をご近所につなげてまちづくりをしていこう!ということだが、真逆な講義を受けているような違和感があった。
まちづくりの”まち”とは公なことなのだろうか?公であることは”誰でも”が対象になるわけではないのではないか?という違和感だ。
私は地域には特色があり、その地域に住むことを選択する人には一定の共通する価値観があると考えている。これはもちろん、生まれた時から住んでいる人、というよりは私のように大人になって自分の判断で居住区を選択した人である。
例えば・・・
目黒なら確立した審美眼を持つオシャレな人。
下北沢なら趣味やご飯への熱量が高い個性的な人。
言われてみてしっくりする感覚はないだろうか?
では港区芝地区は???
地域に住む人の特色を考えるにあたっては、もともと住んでいる人よりも別の地区から移り住んでくる人のことを考える方がより解像度が上がると考えるため、私のように大人になってから移り住んでいる人を考えると、例えば下記のような価値観を持つ人が多いのではないかと考える。
・家賃が上がり部屋が狭くなる<通勤時間を短くしたい⇒タイムパフォーマンスを重視(する都内勤務サラリーマン)
・港区の中でも麻布エリアまでの突き抜け富豪感はない⇒スローライフ肯定派
・とはいえ”港区”への憧れがある⇒ブランド志向、贅沢志向
芝の家体験では、開かれている時間も寄与するかもしれないが、もともとその地域で暮らしていた住人たちまたは小学生たちの「目的をもたなくても良い、いつ行っても良いサードプレイス」と化していて、大人になってからこの地域を選択して移り住んできた私のような住人は1人も見かけなかった。
芝の家は誰でもきていいよとは言うものの、現実的な運営制限による開館時間含めて考えても、やはりそこは「誰でも」に開かれた場所とは言えないのではないだろうか?
ゲストスピーカーの講義を聞いても、地域コミュニティの”場”づくりは、集う人の価値観が現れるため、「誰にむけて何のために」ある場所なのか?誰でも行きやすい場所づくりの難しさを感じた。
だからこそ「ペルソナ=泣いて喜ばせたいたった一人」を考える必要があるのだ。
しかし一方で強く感じたのは、とは言え住人の価値観には地域性が現れそうなので、次回以降の講座にはぜひ、芝地区の住人の価値観・地域性を考えるワークショップなんかも入れてみるのはいかがだろうか?
第二章:”時間に追われない国”が美しく感じるのは、ないものねだりの心がゆらぎを好むから
話が少し逸れてしまったので元に戻す。
地域性はあるものの、コミュニティに求められるある種共通した時代を反映する価値観はありそうだ。
シンポジウムでゴジカラ村の吉田さんのお話を聞いてピンときた。結局人はないものねだりの贅沢な生き物なのではないか?ということだ。
「時間に追われない国」これは昔はみんなそうだったという吉田さんの言葉が表すとおり、今まさに追われるのが普通だからこそ、他方の追われない国がより一層美しく感じるのではないだろうか?人間は常にないものねだりで、右にいったら左にいきたいし、上にいったら下にいきたくなる。
人はバランス感を大事にする生き物であるため、私としては大変腑に落ちた。
関連し、ゴジカラ村の吉田さんの話を聞いて、オムロン創業者のSINIC理論を思い出さずにはいられなかった。
ご近所イノベーション学校で港区での取組みはまさにコミュニティ・地域づくりを考えつつ「自律社会」への第一歩、そしてその先を行く「自然社会」はゴジカラ村での暮らし方そのものであるように感じる。
改めてSINIC理論を俯瞰すると、その社会も時代で揺れ動き、あっちに行ってはこっちに戻る、そんな風にらせん状に進んでいる感覚を持つ。
ないものねだりの心が好むのは、ゆらぎではないだろうか?
そんなゆらぎを求める心を、私たちは個々人でどのように感じているんだろう?
第三章:ご近所イノベーション学校で学ぶ「対話」の意味合い
きっと個々人の心のゆらぎを感じる1番の手段は、「対話」なのではなかろうか。
自分だけでは気付かない、氷山の一角ではない水面下に潜む価値観は、対話の問いを通して深く感じて気付き、初めて言語化していけると考える。
実は私は、ご近所イノベーション養成学校に通うのと時を同じくしてコーチングスクールにて対話を学んでいた。
ここでの発見は、あくまでも個々人の価値観やモヤモヤへの答えは個々人の中に在り、存在そのものが大切だ(時間に追われない国!)ということであった。
会話や議論、討論ではなく「対話」を通して得られるのは、個々人の価値観の交換であり、つまりは普段意識を向けることの少ない「心のゆらぎ」に目を向けることとなる。白黒はっきり、絶対がない世界。
それでもあれが良い、私はこれが好き、というように、個々人が持つ価値観をベースに語られて、そんな対話をした人同士はどうなるかというと、つながる。対話をした人同士、共通の価値観がなくとも、共通して「心のゆらぎ」があることを実感し、共感するのではないだろうか?
ご近所イノベーション学校で何故「対話」が出てくるんだろう?と不思議に思っていたのだが、「対話」ができると性別や年代、バックグラウンドだけではなく価値観も異なる人とも共感できることが圧倒的に増えるため、コミュニティづくりというある種1つのつながり=共感を求める集団づくりに役立つんだということである。
第四章:コミュニティをコミュニティたらしめる要とは
4か月講座で学び、約1年半コーチングも学んだ私の結論としては、コミュニティをコミュニティたらしめる要は、人である。
そして人はないものねだりで、心にゆらぎを好む生き物である。
だからこそ、心のゆらぎを感じて認知し共感できる対話を通じてつながることは、コミュニティに属する”人”同士のつながりを強化する。
一言で言えば「心理的安全性の担保」ということになるかもしれない。
ただそうはいっても「対話」を体感として知っている人はまだまだ少ないのではないのが現実。
そのためにも、つながり・共感を生みやすくするために「ペルソナ=泣いて喜ばせたいたった1人の人」を突き詰めると、とっつきやすい。
おわりに:私の希望する暮らし方を実現していくために
ここで改めて私自身の氷山の水面下を探ってみる。
言うて贅沢は好き。
せっかく高い家賃を払って家族との時間を大切にするために港区芝を選択して住んだのだから、冷暖房は存分に活用して基本的には便利で心地よい生活を送りたい。
自然は好きだし時たま自然の中に身を置く必要は感じるが、日々の暮らしでは身体的に疲れることなく整って、心のゆとりを大切にタイパを重視していきたい。
「贅沢を欲しがる気持ち」を認めつつ、お金ではない「人とのつながり」を大事にしていきたい。
そんな価値観の中でやはり想うのは、土日に充実した時間を過ごせる家族が芝地区でもっと増えたらいいな、ということだ。
私にとって暮らすとは家族と共にいること(もちろん1人の時間も大切だというゆらぎもある)。
だからこそ、公園以外の選択肢を持てる芝地区にしていきたい。日々子どもの成長を感じながらも、ふとした瞬間に逞しく育っている子どもを目の当たりにして感動したいのだ。
私のプロジェクトは講座内では選ばれなかった。それでも私のやりたいことを芝地区につなげていくことには、私自身がとっても価値を感じるし、ワクワク感も感じている。
贅沢を欲しがる気持ちを認めつつ、心のゆたかさを満たせるような、そんなコミュニティづくりをしていきたい。
既に来年待ち構える3つのイベントを実行に移す中で、常に改善・参加家族との対話からヒントを得ながら、私の求めるものと参加家族の求めるもののバランス感を大切に、ゆっくり、まめに、育んでいきたい。
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Special Thanks
講座を開講しサポートしてくださった港区芝総合支社&慶應義塾大学、
坂倉先生をはじめてとする講師陣、
講座運営やプロジェクト伴奏に駆け回ってくださった事務局の皆さま、
もはや年齢とか性別とか関係なく仲間になった12期の同期たち、
特にプロジェクトで一緒になったアートコモンズ志波のひろぽん、れいさん、ゆうこさん、