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就職面接と「ヘレン・ケラー」

 秋を迎えて就職活動の時期が来た。記事(#4)で書いたように、30歳を超えても大丈夫な募集があるのだろうか、、求人が貼り出され始めた。その中で年齢制限もなく魅力的に思えた倉敷の病院が目に留まる。倉敷か、、大原美術館のある素敵な街の印象がある。銀行マンをやっている大学からの友人Oも倉敷市で支店勤務をしていた。よし、受けてみよう!😊

 10月の半ば、友人Oの家族寮宅に試験前日泊めてもらい、楽しく一夜を過ごしたのだが、生後何ヶ月だっただろうか、赤ちゃんの夜泣きが止まず、真夜中に三人で「よしよし、バー!🤗」などとあやしていたのを覚えている。

 大学4年以来の面接試験。就職して8年勤めた会社V社(記事#5)の面接官の対応を思い出した。「、、。君はその仕事があってるんじゃないの?」「、、?🧐」。大学時代に一所懸命やった結婚式場でのアルバイト経験をアピールした時のことである。これはダメか、、と思ったのだが、私の大学のリクルーターKさんが私を強く押してくれたようだった。

 さあ、今回は病院の面接である。筆記試験があったのか覚えていない。 私の学校からは私を含めて3人が受けていた。理事長、院長他と対面する。理事長は精悍な顔つきの医師であった。理想をもってリハビリテーション病院を作っていくという気概のようなものが伝わってくる。

 理事長から「皆さんには、ヘレン・ケラーを教え導いたサリバン先生のようになって貰いたい」とあった。その言葉を受けて返した。

 私は、ヘレン・ケラーが盲聾になった年齢は、1歳半を過ぎていて、知的に正常だったこと、胎児期から音声言語の最も基本的な能力は獲得していた、というようなことを淡々と話したのである。当時はまだヘレン・ケラーへの一般的な認識は枕詞のように「奇跡の人」で、そのタイトルの映画も舞台も観たことのあった私は、ヒトの言語発達の視点から興味をもっていた。つまり、プロの視点から意見を述べたつもりだった、、サリヴァン先生を否定したつもりは全くなかったが、その偉業についてはコメントしなかった。。

  、、理事長から応答はなかった、、、😅

 面接試験を終えて、一緒に受けたUさんとレストランで食事をとった。彼女は看護師からの転職組で、授業はいつも真ん中辺りで受けていた。ショートカットでクリっとした真剣な目をしていて、かつ控えめな性格の印象があった。色んなことを話した。楽しいひと時だった。

 私たちSTは、言語障害をもってくる患者さん、お子さんたち一人ひとりのサリヴァン先生にならなければならないのは当然ですね😊

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🎥 ヘレン・ケラーの映像がYou tubeにありました!😲驚きですね!「ヘレン・ケラー 実写フィルム」→検索で出ます。

 📙1990年10月に読んだ本
「どもりの相談」Johnson W. 日本文化科学社
「偏差値の秘密」桑田 昭三 徳間文庫

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