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感謝のカタチ
カカオの高騰で
日常的にチョコを食べることが
貴重に思える今年のバレンタイン。
ランチタイムに立ち寄ったお店で
店員さんからチョコを貰った。
従業員の多くが
ネパールやバングラデシュからの
外国人労働者であるというお店。
嬉々として働く明るい声で
僕達からの日頃の感謝のキモチです
と書かれた張り紙もあった。
チョコは彼らが自ら買い求めたものだという。
彼らの国について調べたら、
貧困国という言葉が目についた。
所得格差、5倍以上。
そこにある現実に
複雑な思いが起こる。
給料を中抜きされてるのではないか。
そもそも借金してるかもしれない。
だが少なくともその日の彼らは
心から明るい声を出していたように見えた。
たまたまその日は
直前に自転車の後輪のスポークが破損して
店舗に修理の依頼に行ったところで
出された条件に戸惑い、出張サービスに
依頼先を変更したところだったのだが、
戸惑った理由が店員の無表情な対応だった。
「お預かりになります。
費用は5000円ちょっとになります」
一旦店を出て出張サービスに電話すると、
テキパキと明るい声が聞こえてきた。
「午後伺えます
費用は6000円超えない程度になります」
条件はさほど変わりなく、
店舗に預けてもよかったのだが、
誰に頼むか、というところで
出張サービスにお願いした。
最終的に時短対応で修理が済んで
想定外の値引きも受けられた。
ランチのチョコと時短修理に
心躍る1日となった。
そんなとき、無意識に発するのは
感謝のコトバだった。
「ありがとう」
という言葉には不思議なチカラ がある。
感謝のキモチが言霊となりその場の空気を良いものに変えるのだ。
この日、私は自ずと沢山のありがとうを
伝えていたと思う。
バレンタインも様変わりして
お高いものは自分向けに自身を労う目的となった。
人にあげるものは、飴玉のように気軽な
コミュニケーションツールのようなものだろうか。
あげる先も、限定的になっている。
カタチや値段にこだわらず、
日頃の感謝をカタチにしたものがチョコなのだ。
カカオの生産量は、減り続けている。
カカオに限らず、今は米までも非日常になりつつある。
チョコは食べたい人が買えば良いし
分け合いたい人と食べれば良い。
面と向かって、もしくは手紙やメッセージで
「ありがとう」というコトバを
伝えるだけで十分キモチは伝わるし
心が高揚するものだ。
2月20日。夫が転職先で1周年を迎えた。
朝、職場に向かう途中にメッセージを送ってくれたのだが、
その中にありがとうというコトバがあった。
嬉しいことも、美味しいものと同様に
感謝のコトバで分かち合えるものなのだ。
海を越えた感謝のチョコと
夫からの感謝のLINEは
きっとこれからも忘れることはないだろう。