物語をつくる(5)対比、強調、省略
と、物語づくりに関して、いろいろご紹介してきましたが、今回は物語を表現する場合のスパイスとも言えるいくつかの手法について考えてみました。
■「対比」
「対比」は物語づくりに限らず、表現を強化するひとつの手法として、さまざまな分野で使われています。「色」を表現する場合も、異なる色が組み合わされることによって、はじめてお互いの色が際だって見えてくるように、相反する要素を持ったものを同じ舞台に並べて対比させることは、それぞれの特徴や個性をより明確に表現することにつながっていきます。
映画「ブギーナイツ」
例えば、映画「ブギーナイツ」は前半と後半で、作品のトーンや雰囲気が全く変わっています。
前半は、主人公がポルノ映画のスターとして登りつめていく「栄光編」が明るいトーンで描かれ、後半は、主人公が麻薬に溺れ転落していく「挫折編」が暗いトーンで描かれています。
これは、「ブギーナイツ」に限らず、多くの作品で使われている手法ですが「物語」というものが、時間的経過による「変化」を描く芸術である以上、人生や旅のプロセスを描く場合、こうした「対比」を見せることが、効果的な方法と言えるからです。
「対比」には、あらゆる要素があります。
など、物語のテーマそのものになるほど、対比させることのできる要素は数多く存在します。
映画「マルホランド・ドライブ」
映画「マルホランド・ドライブ」もこの対比が効果的に使われています。
物語は中盤、唐突に反転し、「もう一つの世界」に変わっていきます。どちらが「夢」で、どちらが「現実」なのか、二つのパラレルワールドの逆転や相関性に混乱しつつも、物語はスリリングに展開していきます。
物語における「対比」は物事の二元性の強調であり、現実世界を描き、理解する上でも重要な視点やヒントを提供してくれています。
■「強調」
「強調」は何かの要素を際だたせることですが、「物語」の場合、登場人物の性格を普通より少し極端に造形してキャラクターをデフォルメしたり、出来事や事件を、より劇的に描くことによって表現を強化します。
「強調」の目的が、何かを強く印象づけることだとすると、同じことを繰り返す「反復」もこの強調に近い表現方法といえます。
例えば、主人公がごく平凡な日常から非日常的世界に旅立つような話の場合、平凡な日常生活の様子を何回か、反復させて描くことによって、主人公の現状がよく伝わってきます。
日常が平凡であればあるほど、そのあと体験する非日常的世界との対比が明確になり、反復による強調が物語にメリハリをつけていきます。
登場人物が同じ失敗を繰り返すことも、変化することのできない現状やその人物の性格を強調しているわけですが、それが何かのきっかけで変化するとき、その変化は劇的であり、驚きとして、見るものに伝わります。
また「反復」は物語の伏線として機能する場合もあります。さりげなく何度か登場していた人物が、実は犯人だったり、あとで重要な役割を果たす人物だったり、物語のヒントが「反復」によって、何度も提示されている場合もあります。
■「省略」
「物語」は時間的経過を描いているわけですが、そのすべての時間は描くわけにはいきません。限られた時間内で、ある出来事を描いていく場合、適切な「省略」が必要になってきます。
ただし「省略」することによって、その前後の関係が不明確にならないように、上手に省略することが大切になってきます。
「省略」を逆に考えれば、「どの部分を残すか」と言い換えることもできるため、この作業は物語の「どの部分を選択するか」という作業とも関連してきます。
どこをカットして、どこを残すかというは、いわゆる「編集」作業でもあり、物語全体のバランスを考えながら、どう仕上げていくか、という最終工程ともいえます。
時間的経過は、「一年後」「十年後」とか「その翌日」という字幕ですますことができますが、時間的経過が長ければ長いほど、その間の変化を対比的に描くことができます。
「対比」「強調」「省略」というスパイスは、言葉は異なりますが、どこかつながった要素でもあり、それらの配合バランスが、その物語の「味」を決めていっているような気がします。(初稿:2003/11/20)
■参考映画
映画「ブギーナイツ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブギーナイツ
映画「マルホランド・ドライブ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルホランド・ドライブ
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