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2/18 早朝読書会 『旧約聖書 ヨブ記』10章レポ

読書会をやってみて

『ヨブ記』10章の読書会を8名でやりました。
10章はヨブの弁論で、「私はなぜ生まれてきたのだろう、生まれなければよかった。」と反出生主義めいた事を神様に問いかけてました。

初参加の方がいらっしゃったので、そもそもヨブはどんな人間だったのか?そこから、不幸になったことによってヨブ自身に変化はあったのか?振り返ってみました。第一章を読むかぎりヨブは敬虔な神の信者であり、かなり慎重に生活していたことが伺えます。そこから、第十章の「生まれてこなければ良かった、神様の監視のない暗闇の地に行きたい」という発言は、改めて考えてみても何かしら変化がないと出てこない言葉のように見えます。読書会ではヨブに変化があったという意見と、変化がなかったという意見がありました。変化があったという意見は、ヨブは不幸を経験したことにより、人間の弱さがわかるようになり世界の見方が変わったという読み方です。変化がないという意見はヨブは神様に見出された義人であり、ヨブは不幸になっても神様への信心は変わらないという読み方です。全知全能の神様はヨブが変わらないことがわかっていたので、あえて不幸にしたというシーンも第一章に出てきます。
また今回の箇所を読んでみて、人間と神様の違いについてヨブ自身がどう思っているのか、考えました。ヨブは神様に対して以下のような言葉を述べています。

あなた(神様)の両の目は肉(の目)なのか、
人が見るように見るだけなのか、
あなたの日々は人の日々のようなものか、
あなたの歳月は人間の歳月のようなものか。

神様と人間分つものではあるが、ヨブの視線からは、ヨブに対する神様の振る舞いは人間の振る舞いのように見える。ここから神様と人間の違いについて考えていきます。この言葉の前後に「なぜ神様は自身でせっかく造った人間(ヨブ)を後で思い直して壊そうとするのか。」というようなことを問いています。ぼくの解釈では、この言葉は人間の習性を言っているのだと思いました。人間は制作したものを後で思い直して壊そうとする、しかし神様はそうではない。人間はゆらぎがあり、神様はまっすぐである、ヨブはそう定義していると解釈しました。

今回も皆さんと作品を読んで感想を共有することで、深遠なものを感じることができました。

ご参加いただいた方の感想

ふ-みんさん
ヨブは自分が正しい事を訴えながら、絶望的 になっている。 その感覚私も共感できると感じました。 私も自分の正しさから離れられず、つい回り のせいにする事があるから。 ヨブだけではなく、人間のサガのような気も します。 だから、ヨブは聖書の中でも一番読まれる 部分なんだと思いました。 知識としての本ではなく、共感しなから読む のが大切だと感じました。

次回

土曜日と日曜日交互に開催致します。いずれも朝6:00〜7:00です。
興味を持った方はぜひご参加ください。

3/4(土) 『ヨブ記』第11章


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