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湘南暮らし、1年が経ち。

いつものようにふらりと海まで来てみたら、
いつのまにか、富士山が裾の方まで雪を被っている。

離れて住む実家の母からは、梅の木にはもう蕾があって、春に向けて咲く準備をしているのだそう。
その土地それぞれの特徴を持って、季節はグラデーションのように移ろう。

ここに引っ越した理由の一つは、
「四季の移ろいをもっとつぶさに感じたい」からだったな、と、今日の富士山を見て思い出す。
四つじゃない。もっとじわ〜っと移り変わるものだから。

そういえば、ここに移り住んだばかりの頃は、
休日が週2回じゃ足りないくらい、行きたい場所、見たい場所、やりたいことが数え切れないほどあった。

周りにいる住人たちの表情をみたり、やっていることを観察したりしてどんなふうにこの街の暮らしを楽しんでるのか、よく見ていたものだ。

なんでも新鮮だった。

海沿いのベンチで本を読んだり、キャンプチェアを持ち込んでコーヒーを飲んでたり、家族とモーニングを食べにきていたり、まだ夜明け前の暗い頃から大勢の人が釣りをしていたり、サーフボードを自転車に積んで波をチェックしにきていたり、ランニングしたり、わんちゃんのおさんぽをしたり。

みんなそれぞれ、思い思いの過ごし方をしているのだけど、

共通するのは、「今日1日を心豊かに過ごす」ことに積極的なこと。まったりした空気感の中に、そんな強さがある。

当たり前のようにそう過ごしている人たちを見て、私自身もそうなりたいと思ったことを思い出す。


1年が経った。


いつのまに私も、自転車にボードを積むようになったし、
休日は決まって朝海沿いを散歩して深呼吸をして始めているし、
行きつけのお店もできたし、
近くに一緒に楽しい時間を過ごしてくれるお友だちもできたりした。

新鮮さは失った。
なんでも、慣れるものだ。

どんなに望んでいたことでも、
どんなに物珍しかったことでも、
慣れてしまえば日常だ。
願いはひとたび叶ってしまえば「いつもの」だ。

でもその「いつもの」さえもが、
私が自分の手で選び作り重ねてきたものだという事実が、自信になっている。

その自信が、毎日を生きる私の体温を1度、上げたように思う。

だから、

私が行きたい場所に、私が連れて行ってあげよう。

私がやりたいことを、私が叶えてあげよう。

私が望むものを、私が手にしてあげよう。

そんなふうに、自分との信頼関係を一つずつ、今年も紡いでいきたい。

誰より私の可能性に期待して、自分の変化を楽しみにしているのは、実は私自身なのだから。