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イチロー引退と秋吉敏子:ザ・トシコ・トリオ

イチローが引退発表をしてから早いもので3日間が経ってしまいました。

日本のプロ野球で9年、大リーグで19年プレーしたイチロー。 数々の輝かしい記録を持っていますが、 私としては「大リーグ史上初めて10年連続200本安打を達成したこと」と、 「2004年に262本のヒットを放ちシーズン最多安打を記録したこと」が 鮮烈な印象として残っています。

引退表明の記者会見は1時間20分に及んだと聞き、 テレビでチェックするだけでなく、その内容全文に目を通しました。 印象的だったのは、彼ほどのスターであっても、 アメリカでプレーすることは決して楽ではなかったということです。 会見から一部をご紹介しましょう。 

 アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。 アメリカでは僕は外国人ですから。 このことは外国人になったことで人の心をおもんばかったり、 痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね。 体験しないと、自分の中からは生まれないので、 孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。 

 この発言から私が思い出したのはジャズ・ピアニストの秋吉敏子さんでした。 秋吉さんは現在89歳(!)。 ジャズ・ファンには説明不要かもしれませんが、 単身渡米し、本格的な活躍を果たした初の日本人です。 彼女の歩みについては自伝『ジャズと生きる』(岩波新書)に詳しく書かれています。  

1953年、来日したオスカー・ピーターソン(p)にその腕を見込まれ、 プロデューサーのノーマン・グランツに推薦された秋吉さん。 初アルバムがアメリカで発売されることになり、 1956年にはバークリー音楽院への留学を果たすことになります。 日本の若い女性がジャズを演奏するということで 当時、非常に注目されたそうです。 住んでいたボストンの土地柄もあったのかもしれませんが、 しばらくは自分の人種を意識しなかったとのこと。 しかし、在米3年ぐらいから風向きが変わってきます。 引用してみましょう。

・・・その頃から私はなんとなく陰口をきかれるようになった。 「彼女は日本人で女だから珍しがられているんだ」とか、 「来て間もないのに、前から努力して功績を積み重ねているベテランを 除けていろいろ賞をもらうなんて幸福な女性だよ」 などの一言評で、面白いことに、それらの論評は私の仲間たちからではなく、 新聞記者から聞こえてくるのだった。(『ジャズに生きる』145ページより) 

 さらに、プレイ・スタイルにも指摘が相次ぎました。 マックス・ローチ(ds)やマイルス・デイヴィス(tp)といった 有名ミュージシャンとも共演を重ねていくのですが、 そのたびに後方で「バドだ。パウエルだ」という声を聞いたというのです。 秋吉さんはこれではいけない、自分の表現語を見つけなければ、 と思うようになったそうです。 

 これを読んで、アメリカは本当に厳しいところだとため息が出ました。 私が聴く限り、秋吉さんはプレイ・スタイルこそパウエルにかなり負っているものの かなり早い段階で自作曲で独自性を出しており、 そこでのアドリブにもオリジナルの響きがあるからです。 その証として、今回は1956年に録音された「ザ・トシコ・トリオ」を聴いてみましょう。 アメリカ留学を果たした年にポール・チェンバース(b)、エド・シグペン(ds)という 名手と組んだアルバムです。  

収録された9曲のうち6曲が秋吉さんのオリジナルというのはすごいことで、 プロデュースしたジョージ・ウェイン(ストーリービル・レーベルのオーナー)が いかに彼女の才能を買っていたかが分かります。 

 1956年録音  秋吉敏子(p) Paul Chambers(b)  Ed Thigpen(ds)

 ①Between Me And Myself    秋吉さんのオリジナル。 ちょっと日本のフォークソング的な味わいがあります。 冒頭はピアノ・ソロ。童謡を思わせる哀愁のあるソロが 歌の前のヴァースのようで、何か懐かしい物語が始まるのではと思わせます。 やがてベースとドラムが加わりメロディへ。 ドラムの「ポコ・ポコ・・・」とした響きが祭囃子の一部のようにも聞こえて ピアノと共に温かみのある高揚感を作り上げます。 そこからピアノ・ソロへ。 確かにパウエル的なフレーズが繰り出されますが、 どこか繊細さと温かさを感じさせるところにオリジナリティを感じさせます。 シグペンのドラムソロが続きますが、静かに展開するプレイを聴くと 彼は秋吉さんの音楽の本質を完全に見抜いていたのだと分かります。 

 ⑤Manhattan Address   やはり秋吉さんのオリジナルで、3分弱の短いナンバー。 非常にチャーミングな曲です。まず、イントロがいい。 これもピアノ・ソロで始まるのですが、 優雅で余裕を感じさせるスローな展開です。 マンハッタンの公園沿いにある富裕層のアドレスを描いたのでしょうか? イントロが終わると、一転して急速調に。 典型的なビ・バップのフレーズを連打してきますが、「強打」という感じがしません。 少しソフトで、うねりをきかせたフレーズであっても柔らかみがあるのです。 当時、この情緒ある演奏が彼女の「強み」と受け取られたかは分かりませんが、 オリジナルのものであることは間違いありません。 

 秋吉さんは2006年、ジャズ界で最高栄誉とされる 全米芸術基金の「ジャズ・マスター賞」を日本人で初めて受賞しています。 長年にわたり自己の音楽を発展させ、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンドなどで 確固たる音楽を築き上げたことが評価されたのでしょう。

 一方、イチロー選手についてアメリカのメディアは 「野球殿堂入りは確実」だと伝えているそうです。 これも決定すれば、日本人初の快挙です。  そういえば、イチロー選手の会見でこんな言葉もありました。

 アメリカのファンの方々は最初は厳しかったですよ。 最初は日本に帰れってしょっちゅう言われましたよ。 結果を残した後の敬意というのは、手のひらを返すというか。 行動で表す敬意は迫力があるという印象ですよね。 認めてもらった後はすごく近くなるという印象で、ガッチリ関係ができあがる。 

 イチローと秋吉さんは共に大きく、困難な舞台に乗り出し 、自分なりのスタイルを見つけて異国で成功を収めました。 この二人の挑戦は世界に対して開かれた視野のもとに行われており、 いまのような時代だからこそ、そこに深い意味があるように思えてなりません。

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