イライラの正体も自分の観念
『自分の観念で自分の世界は創られている』
他人に対して「こうしたらいいのに」とか
「こんなところが嫌だな」
と感じているのも、自分の中だけの出来事で
その現象やその人さえも
本当は幻
その言葉は、
いや、世界のすべてが
いつだって自分一人しかいない自分宛ての
メッセージでしかない
すべてがただ
自分が自分を感じるためのもの
だから対象物に何をしても何を言っても
対象物にとっての意味はなく
それは自分に向けた独り言になる
「こうしてあげたい」という思いも
例外なく自分宛てだから
誰かを心配している自分に気づいたら
自分をみてあげよう
「心配しなくて大丈夫」
「ぜんぶそれで大丈夫だよ」と言ってあげよう
自分の中に、まだそういう解釈がある
(させられている)から現れているだけなんだから
自分の観念を見直せば消えていく
「〇〇=こういうものだという
過去の観念に囚われているよ」
「それでもいいんじゃない?」
ほぼ、フラットになれというメッセージになっている
分かっている
でもフラットになるって結構難しい
『受け容れる』って
言葉で言うのは簡単だけど
まだ素直に受け容れられないことも
沢山ある
そんな風に受け容れられないことをも
静かに受け容れ、流していく
そうやって
確実に本当の自分に還っていく過程(人生)を
生かされているのだということは解る
すべてが自分だけの為に存在している世界で
ただ、今目の前に起きてくる一つ一つを
善悪に囚われることなく
感じて味わえばいいだけなのだと気づいたら
自分を良くしようとしたり
誰かにどうこう思ったり言ったり
何かをどうこうしようとする必要もなくなってくる
ただ純粋に、自作自演の
本当の自分に気づいて還るという
人生ゲームを楽しむだけだ