無極(ニュートラル)に生きることが人間の到達点、最終地点なのかもしれない…
『無極(ニュートラル)になる』
ここが人間の到達点、最終地点なのかもしれない…
津留晃一さんのメッセージ集
『偏在するものへ』で答え合わせ
私たちは転生しながら
あらゆる自分を体験してきている
そして
人間である誰もが(みんな自分だけど)
必ず二極を持ち合わせている
善と悪
優しさと冷たさ
強さと弱さ
ポジティブとネガティブ
明るさと暗さ
美しさと醜さ
など
対とされる二極の
すべての要素を持ち合わせているんだ
『すべてある』とは
そういうことでもあるよね
自分がどちらかの極に傾いていたら
その反対側が必ず目の前の他人(自分を映す鏡)に
現れるということ
自分にないと思っていても
目の前の他人は持っているし
本当はそれも自分自身なんだよね
どんな体験も同じこと
だから羨むことも
批判することも意味のないことなんだって
分かったの
ここは、鏡の世界で
すべてが自分なんだから
そして本当は
どちらが善いも悪いもなくて
どちらもあるからこそ
この世界は完全なんだ
それを知ることで
自分の中のすべての両極を認めると
極が消えて必然的にひとつになってしまう
『すべてはひとつ』って
そういうことか…
世界や人の見方がガラリと変わる
犯罪でさえも
人間である私達の誰もが
どこかで経験するもの
『悪もあっていい』という言葉に
嬉しさのショックを受けた
どんな自分でも何も否定したり
隠したりする必要なんて
なかったなんて…
その価値観を受け容れると
自分の中が心から安らいでいくの
自分も誰もが
ただそのままでいいんだと思えたら
もう誰のことも責めなくなるし
誰もがどうあってもいい
必要だから今それを経験しているだけなんだと
思えるようになった
善悪が消えて
体験するこの世界の何もかもが
愛おしいものになっていくの
本当の自分のままで
喜びの中で
生きられるようになっている
これが誰もが体験する
神に還る過程なんだと思う
ここまで来るのに
とても長い道のりだったと思う反面
それまでの過程はやっぱり
体験して良かったことばかり
いや、なくてはならなかったものだと思えるの
だからこれからのどんな体験も
何ひとつとして無駄なものはないし
体験したかったはずのものだから
安心して楽しく生きていくことが出来る
ここがきっと
人間の到達点、最終地点なんだ
本当の苦しみからの離脱の時
例えここでまた
行ったり来たりしたとしても
この価値観を受け入れただけで
もう
神の域に片足を踏み入れ
神として生きている感覚になっている
ようやくあらゆる苦しみから解放され
穏やかな至福の中で
生きられるようになっていくの
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