友人の死 8/20
昨夜、8/10に友達が亡くなったと連絡がきた。
同じ年で大阪時代からの仕事仲間。
というか、飲み友達。20年近く知っている。
消費していく社会がいやだと言って前職をやめて、東京から北海道に移住して、とても素敵な店をはじめたけれどコロナと重なり閉店。
最近は前職に戻り、やり直そうと自費で本を作ったりと頑張っていた。
そんな私は彼が気になっていた時期があった。セックスしてしまったから。
終電間近の道端でキスをした事もあった。
でも、また友達に戻り、北海道に遊びに行った時は少し会ったり、最近もDMでやりとりしたりもしていた。
死因は教えてもらった事の中では分からなくて教えてくれた人も困惑していたけど、報せを受けて、教えてくれた友達も私も、私から知らせた別の友達も不安定な面も知っていたから自死かも…とみんなが思った。
結婚もしていたし、フェロモン最強。羨ましいほどのセンスと才能も行動力も知識も…と色んなものを持っていた。
けど、幸せであるかどうかは本人にしか決められない。
結婚したら幸せになれるとか、引っ越したらうまくいくとか、外側の変化によって自分は何かを手に入れて進化して幸せになると思いがちだけど、
内側から変わって芯から受け入れない限りは何も変わらないし、幸せは自分の裁量でしか決められないと改めて思う。
表層の意識では、亡くなった友達に対して、悲しみ、残念な気持ち、怒りの混ざった感情もあるが
光のシャワーを浴びて、友達にも広げていくと、何で死んだにせよ旅立ちは祝福だなと思った。
「おめでとう!42年だけど頑張って生ききったね!お疲れ様。好きだったよ!」
そう伝えると、美しいレインボーの光が降り注いできて、いつもの声で「ありがとう〜」と言われた気がした。
人はいつか死ぬし魂は死なないとはいえ、魂も肉体もある今しかできないことを自分のペースでやっていこうと思う。
9/1追記
昨日読んでいた本に、死とは完成である。と書いてあり、妙に納得した。
この彼も、極みに達したんだと思う。
もちろん現在、世の中的な薬害の問題もあるけれど、そんなことはどうだっていい。
自殺も事故も結果は変わらない。
死んでも魂はあるし、繋がろうと思えばいつでも話せる。それでいい。
妙に受け入れていて、もう悲しくはない。
ありがとう。
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