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娘が呼ぶ「佐藤さん」の正体
「佐藤さん来るの?」
保育園から家に帰ると、娘が僕に問いかけた。
「佐藤さん?」
よくある名字だけど
最寄りの佐藤さんは中学の同級生くらいしか思い当たらない。
仲のいい友達のことを「〇〇ちゃん」と呼ぶことはあるが、
苗字で呼ぶことなんて今まで聞いたことがない。
先生のことは苗字で呼ぶことが多いけど、
「〇〇先生」と言う。
佐藤さん・・・
僕の頭のなかで
佐藤さんという謎の人間がタップダンスを踊っている。
言っていることが伝わらないからか
娘が少し不満そうに見える。
その後、夕飯を済ませて娘と遊ぶ。
しかし、僕の頭のなかでは帰宅後からずっと「佐藤さん」が引っかかっていた。
佐藤さんって誰のことを言っているのだろう?
そもそも聞き間違いだったのか?
ノドに刺さった魚の骨のように、
気にしなければ勝手に解決するのだろうけど、気になりだすと気になって仕方がない。
家のなかを遊びまわった後、
動画を一緒に見る。
その間に食器洗いや翌日の保育園の準備を済ませるのだ。
あるシーンで娘が「佐藤さん!」と言った。
クリスマスのシーン
そうか、
佐藤さんは「サンタさん」のことだったのか!
「サンタさんか!」
娘がウンとうなずき、
僕の頭のなかに爽快な風が吹き抜けていく。
育児と向き合っていると、ちょっとしたことが頭脳トレーニングになっている。
相手の伝えたいことの本質をつかむには
育児がいいトレーニングになると強く感じている。
娘が僕の言葉を理解するようになってからは
とくに思考力を試されることが多い。
こうして僕のモヤモヤが取れたと同時に
娘の表情も少し満足そうに感じた。
そこで立ち止まって考える。
違うんじゃないか?
娘は僕に対して、佐藤さんに関する不満なんて一言も言っていない。
満足そうな表情を浮かべたのは
僕の見える世界の娘だ。
僕の見える世界は
自分自身の考え方、気分に大きく左右される。
「娘は不満に思っていただろうな」という僕自身の考えが不満を持った娘を作りだしていたのだ。
育児ではこうした「自分世界」に踊らされることがよくある。
一人で遊んでいるとつまらないのではないか?
同じ食事が続くと不満じゃないか?
お菓子の我慢ばかりさせて辛いんじゃないか?
これらすべて、案外、思い込みのことが多い。
一人で遊ぶことは集中力の向上につながる効果もあるし、お菓子を取り上げても、あっさりすぐに次の標的に好奇心が移ってしまうことも多い。
今後も第二の「佐藤さん」は現れるだろう。
正解をすぐに求めない。
わからなくても娘と一緒に佐藤さんの正体を探ろう。
それが案外楽しさに繋がるのかもしれない。
優先すべきは、目の前にいる娘と抱き合うことだ。
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