20期を迎えて Vol.2_10
わが社もついに20期に入りました!
先日、社員総会並びに20周年の会として
お客様や友人、パートナーさんをはじめ約70名ほどお越しいただき
社員を交えた感謝の会を開かせてもらいました。
コロナもあって実に2年越しのリアルな場での開催。
準備するスタッフたちもいつになく、緊張してたように思えたし
規模感が大きいだけに、調整に調整の連続で最後の方はバタついてたね。
お陰様で、何とか無事に盛り上がって
閉会することができたのは実に嬉しかった。
社員総会に向けた想い
この会を開くにあたって
実は会社規模とは身の丈が合わないほどの予算をかけてたんだよね~。
ちゃんとしたホテルの大きな会場を借りたし、
演出だって映像だって凝って制作した。
景品だって皆がほしいものにした。
もうフトコロがピーピーですわ~
なんでそんなに奮発したのか?
それは俺にはこんな想いがあったからだ。
俺のビジネス人生
23歳の若い時に準備会社を作り
貯めたお金で2004年にスピードリンクジャパンを起業。
この20年を遡ると、平坦な道なんてあるわけがなかった。
-20代前半-
若い故に、経験が足りないが故に
リーダーとしての葛藤に悩み苦しんでいた。
誰にも自分の弱さを語れないし、
そんなことを見せてしまったら人が離れると思っていた。
いわゆる経営者は孤独の入り口ってやつね。
でも、そんなことは関係なく
経験ある人たちに見透かされていただろうから
今考えたら笑える話だ。
-20代後半-
普通の開発会社から脱皮しようと
マーケティング会社を上海に作った。
でも、ほどなくして失敗に終わった。。
ガキの俺にはマネジメント能力が備わってない。
その重要性もわからないから
人が付いてこないで離れていった。
それは社内も社外も同じだった。
人との関係性の在り方を
根本から考え直さないといけないことになったのはこの時期だ。
-30代前半-
会社がつぶれかけた。
忘れもしないリーマンショック(夏)が来る年の四月。
社員が50名たらずのところ
俺は何を血迷ったのか「攻めるぞ!!」って言いだして
無理やり20名の社員を採用したんだ。
案の定、夏に”リーマンショック死”しました・・・・💦
かろうじて生き残ることができて
安心したのもつかの間だ。
まさかもう一発「強め」なのが来るとは思わなかった。
それが東日本大震災だった。
世の中の仕事は一瞬にして消えたのは今でも覚えている。
-30代後半-
もちろん、外部要因ばかりが会社の危機を招いているわけではない。
大半の危機は、俺の経営者としての浅はかさに起因することばかりだ。
外部要因の危機を乗り越えた俺は
なぜか変な自信がついちゃって
事業の多角化に手を出してしまった。
同時に4事業を立ち上げたもんだから、
その結果、
半年後の財務予測で会社の銀行残高が2万円しか残らないと経理に言われた。
俗にいう「2万円事件」。
いやぁ~マジでビビったよ。
高校生のお小遣いじゃないんだから、、、
20年目を迎えて
細かく書けば失敗は山ほどあるけれど
こんなに失敗しても
それでも何とか
この会社は生き残ってくれて
20年目を迎えることができた。
こうなっちゃうと
俺は自分の運の良さを感じるんだよね。
支えてくれた社員が居てくれたこともそうだし、
絡んでくれた友人たちもそう。
教えてくれた先輩たちも
仕事をいただいたお客さまも。
その一つ一つが
こんな俺を構ってくれたから
つぶれずにやって来れた。
ほんとにありがたい。
感謝しかない。
感謝の気持ちともう一つ思うことは
こんなに良い人たちに囲まれているのに
俺は万年、微増の業績しか出せていない。
経営者としてほんとに不甲斐なさを感じているんだ。
変わらないといけない
近頃、若い経営者から経営を教えてほしいと言われることが増えてきた。
若くから起業してた俺は
いつしか中年になったことを実感する一方で
俺が経営を語るなんてチャンチャラおかしいと思うのもそうだけど
教えながらもその経営者たちが
軒並み、うちより売り上げが多かったり、利益が多かったりしている。。。
一体誰が経営を語ってんだ!!!
反吐が出るわ!って思うわけだよ。
だから、この節目の20期に
俺自身生まれ変わらないといけない。
そう強く思うわけだ。
だから
20期のテーマを「REBORN」とした。
それがわが社の皆にも、周りの友人たちにも分かるように
生まれ変わるメッセージとして背伸びした会を開いたわけだよ。
三流経営者にも意地はあるからな!!
さぁ~「REBORN」だ!
生まれ変わるぞ!!