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社員との接点作りがもたらしてくれた功罪 Vol.66

前回に引き続き、俺の失敗した仕組みについて書きたいと思う。

失敗した仕組み

会社を始めたころは、 
よく辞めて行く社員から捨てセリフのように 
「社長が何を考えているのか分からない」と言われた。

これを言われるたびに

ふざけんな!
分からないんだったら聞きに来ればいいじゃんよ!!

おこここ

って当時は思った。

だけども、当時の社員というのは 
聞きに来るほどの覚悟ある者はいなかった。
というよりも、そもそも聞きたいほど会社に興味があるわけじゃなかった

社員たちが会社に興味がない。
このことを俺が理解し始めてから
興味を持ってもらえるように
少しずつだけど、社内に向けて発信をするようにし始めた。


今度は
辞めて行く社員たちに 
「社長のやりたいことと自分の方向性が違う」と言われるようになった。
でも、辞めて行く社員たちの転職先は同業他社なだけで
結局やることは同じだった。

何が違うんだよ!!狂ってんのか??
お前のやりたいことと俺のやりたいこと同じじゃねーか!!

おここ


そう思った。

それから
何年か経営者としてモガいて
やっと、俺の考えに軸がないこと
行動が伴わないこと社員たちの不信に繋がっているんだと知った。

俺は未熟なりに
経営者として、
パパとして、
人として、何を成すべきなのか 
先輩に聞きまっくったし、考えに考えたし、動きに動いた。

インプットしたことを
時間をかけて社内コラム、社内バイブルなどのアウトプットをすることによって
俺自身の軸のようなものができてきたように思えた

すると、今度は
社員たちから「社長が言ってることが難しい」とか
「西田語が分からない」とか言われるようになった。

おこ


おいっ!!
どうなってんだ!!?
みな義務教育を受けて来てんだろ!!!

日本語喋ってんだから、分かるだろ!!!


俺は、俺の言葉を理解できない社員たちとの視座の差、
経験の差、意識の差などの「理解の差分」 があることを知った。
この差分はきっと話せばわかるはずだと思った。

だから、俺は社員との接点を増やすべきなんだ。
偉そうに上からモノを言うんじゃなくて、
社員たちの近くに自ら下りていくべきなんだと思った。
 ※この上とか下の表現は好きじゃないけど、分かりやすいから悪しからず

なぜ新しい仕組みに変更したのか?とか
経営判断の背景に何があるのか?とか 
みなの見えていないバックグランドで
どんな葛藤があるのかとか 
これらを実際に知れば、
理解もするだろうし、納得もできるはずだと思った。

それで社員との接点になる
納会や新年会、社員総会、懇親会はもちろんのこと
単発の社員企画イベントにも参加したりした。

そのうえで

誕生会
 誕生月の社員を集めてお祝いする場

アゴトーーク
 社員が俺と飲みながら一問一答する場

を作った。
挙句の果てに5年ほど前、会社の近くに別宅を構え始め、社員がいつでも来れるようにした。


接点作りの功罪

・誕生会

誕生月の社員たちを集め、ねぎらいと頑張ってくれた感謝を込めて
社員たちがなかなか行けないような
ちょとお値段のする店をリストから選んでもらって行くスタイルだった。

お値段も高いけど 
どちらかというと「一流のサービス」とは何かを社員たちに体感してもらう狙いも合わせてあった。

一流のサービスを体感してもらって
それがお仕事に生きたかどうかは測ってないから分からなかったけど 
気が付いたらいつも古い社員と俺が会話するだけの会になっていた。
まさか、俺が偉くなったのか? 
・・・分からないけど
年を追うごとに若手に気を使わせているように感じることが増えてきた。

初期には接点、ねぎらい、楽しんでほしいことも含め
これらの意図は果たせたんじゃないかと思いつつも 
誕生会として7年も毎月やってこれば 
社員なら享受できるのが当たり前の会になり下がったかのように思えた。 
もはや意図してたことのどれ一つ、目的を果たせない会になったと俺は感じ、
昨年のコロナもあいまってこの誕生会は廃止させた。


・アゴトーーク(悪意ある名称は社員の考案)

あご

月一回、社員が俺と飲みながら一問一答する会。
俺に話を聞きたい社員たちが集まって、
仕事のことやら、
人生のこと、お金のこと
異性のことなどいろんな質問が繰り広げられた。
もちろん、会社を良くしようとする提案もこの場で行われることがあった。

社員たちが会社に対する理解度も上がるし、経営判断に対する納得度も上がる
でも、会を追うごとに来るメンバーが固定的になっていったことで 
新しいメンバーが来にくくなった。
いつの間にメンバーも減ってしまい、新たな学びもなくなって、
3年ほど経つと同じメンバーのただの飲み会になり下がって行って廃止にした。

・別宅
初期のころは 
海外の社員が日本に来てすぐ不動産の契約ができないから
この別宅に泊めて俺と共同生活させてた。

会社が渋谷だったということもあって、多くの若い社員たちもよく飲み歩き、
終電を逃すこともしばしばだ。
別宅は社員であればいつでも誰でも来ていいし、
何ならお泊りセットもあるから、泊まっていく子も少なくなかった。

別宅はアゴトーークの会場としても使われるし、
仕事が終わらなくて俺に質問に来る子もいた。
会社と違って夜に行けば俺の時間が取れからね。
いつでもだれでも来ていいよってことで、カギを管理部に預けた。
気が付いたら住みつく奴も現れちゃう始末で
なんでか、俺がこいつの洗濯物を干すこともよくあった。

当時、周りの経営者たちから「なんで別宅を借りてんの?」って聞かれるたびに
女子を連れ込むためだって回答してたけどね・・・・💦

別宅の存在は社員との接点を増やすことに大いに役立った
お客様もそうだけど、うちの子供たちと社員たちとの交流の場にもなってた。

ただ、3年経って不動産の契約更新はさせてもらえなかった。
俺不在時に深夜まで社員たちが騒ぐこともあるから、近所迷惑だったんだと思う。

接点を増やす功罪

社員とのたくさんの接点作りをしてきたけど、
どの施策も当初はそれなりの意味を果たしたんだと思う。

会社に対する理解俺に対する理解、など
レベル差はともかく、絡んでくる社員たちには一定の影響があったように思える。 

でも、たくさんの接点たちが最ももたらしてくれた功は
俺を社員たちに知ってもらう以前に、俺にどんな社員たちが居るのか
教えてもらえたことだ。

自分の会社のレベルや現場の視点、社員たちの悩み、
彼らが見ているポイント、考えていること・・・・etc

なかま


俺はそれを知れたからこそ上辺だけの学びに意味がないことを理解した。
ほんとに大事なのは
俺との接点を増やすことではなくて
一人でも多くの社員がちゃんとわが社のミッションやバリューを
理解し、体現し、そのうえで成果を上げられる組織にしないといけない
ということだった。