お酒、衒示的消費ではなく原始的消費を②

今回は私の考える「味覚」について書いていこうと思います

人間は体のどの器官で「味」を感じとっているのでしょうか
ええ、当然「舌」ですね
厳密には鼻も含まれますが、それは後ほど書くとしましょう
基本的に人間は人種に関わらず同じ構造をしています
ではどの人も同じ味覚を持っているのでしょうか?

そんな事ありませんよね

ニンジンが好きな人がいれば嫌いな人もいる
ビールが好きな人がいれば嫌いな人もいます

なぜそうなるのかと言うと、それは脳が人によって違うからでしょう
脳の構造が違えば味覚を含めて、あらゆる事の感じ方、考え方が変わってきます

前回の記事の最後にキーワードとして
「太古の海は塩辛くなかった」と書きました
もし理由を考えてみた方がいたらガッカリさせてしまったり、怒らせてしまうかもしれません
なぜ太古の海は塩辛くなかったかというと、
「人間がいなかったその時代には塩辛いという概念が存在しなかったから」です

とんだ屁理屈のように聞こえるかもしれませんね
いや、屁理屈なのかもしれません

しかし、私はこれは人間が持つ味覚の、ある意味で真理に近いものだと考えています

例えばお酒のテイスティングコメントとして
「フィデウア」のような香り
と言ったとしましょう
フィデウアを知っている人は日本ではどれくらいいるでしょうか
まあ、実際の数字を出せないので信憑性や説得力はあまりないのですが
それほど大勢はいないと思うのです
ちなみにフィデウアとはスペインのカタルーニャ地方の料理で、
パエリアを米ではなくて細いパスタで作ったような料理です
美味しいです

フィデウアのような香りがある
と、言われてもそれまでの人生においてフィデウアを食べた事がなければそのお酒からはフィデウアのような香りは感じられないと言うことになるのではないでしょうか

当然フィデウアを食べたことがあれば理解出来るでしょうし、食べた事がなくてもパエリアに近い料理だと知っていれば予想は出来るかもしれません

しかしその両方にあたらなければ、その人はそのお酒からフィデウアのような香りや味は知覚できませんし、想像も出来ないのです

また、ある食べ物が好きな人と嫌いな人、両方ともいると思います
例えば先ほど例に出した「ニンジン」
あの甘さが好きな人、野菜なのに妙に甘いのが苦手な人
同じものを食べても感じ方が人によって変わるのはなぜでしょう

アレルギーだったり体質的な事があると言うのもあると思いますが、私は専門家ではないので専門的な理由は分かりません
しかし、ニンジンについての「思い出」が作用していると考えたらどうでしょう

子供の頃、親が作ってくれる料理にはいつもニンジンが入っていた。どれもすごく美味しくて、毎日家族で食事をするのがとても楽しかった。大人になった今でもニンジンを食べると楽しかった思い出が蘇る……人がいるかもしれません

逆に、子供の頃ニンジンを食べてお腹を壊してしまった。または味が苦手で食べ残してしまい、親によく怒られていたという嫌な思い出が蘇る……人がいるかもしれません

「ニンジン」をトリガーに記憶が呼び起こされ、舌で感じる味覚以外の部分で
好きや嫌いという感情が生まれることもある、ということです

つまり、味覚とは今まで生きてきた人生の答え合わせのようなものである
ということではないでしょうか

人生で食べた事のないものの味は知覚できず、また他人が美味しいと言っているものでも、自分に嫌な記憶があれば例え同じものでも美味しいと思うことは難しく、その逆もまた然りということです

人間である以上、全く同じ味覚を持っているというのはあり得ない、と私は考えています
クローン人間がいたならもしかしたら、とは思いますけどね

次回はいよいよ衒示的消費の是非について書いてみようと思います
よろしくお願いいたします

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