一年経って思うこと(2)
今「おはよう」という言葉と、「コロナ」という言葉。どちらが人間の口から発せられることが多いのだろうか。
良い勝負だと思う。そのくらい「コロナ」...新型コロナ型ウィルスの蔓延というのは大きく、莫大に、巨大に、爆発的に、いろんな人間の人生を壊していった。
私もその壊された人生を背負っているのだろうか。
静寂
私は空が好きだった。空は青い。それが第一に素敵だ。更に、空という空間を移動することには何か特別な意味を持っていると思っていた。そういう意味を提供してくれた空間が好きだった。
ただ、私が訓練を終えて、そして試験に合格を果たした。一緒にいた同期2人とは色々あった。火が吹くような喧嘩こそしたことないが、態度に腹を立てたり、慌てて動き回って自分をどうにもできない姿にうんざりして怒鳴ったこともある。
だけれども、自分にとっては大事な2人だった。自分の訓練をサポートもしてくれたし、些細で小さいかもしれない。だけど色んな情報や知識を分かち合ったし、教官の指導を共有した。足りないところを「足りない」と言えるような関係だった。
そんな2人の試験が終わるのを待っていて、久しくAIPや航空法といったものから離れる生活が南の島で続いた。
色々あって彼らの試験が終わって、先に1人の同期が実家に帰った。そして、私も帰った。訓練では飛んだことのある空港や、街。半島や橋。どうしても見てみたくて途中まで陸路で帰った。でも、以前見てた慌ただしく多くの飛行機が動き回る有名な空港から一機だけ、飛行機が降り立つだけ。空からも声がなくなりつつあることをひしひしと実感した。
自分を飛行機に例えるなら、Run-upも完了し、エンジンは良い温度になってる。OIL TEMPも上がっている。もう今エンジンをふかしても飛べそうだ。なのに、滑走路は急遽クローズしている。飛びたくても飛べない。そんな状況にあることを実感するには時間がかかった。
転
ほどなくして、声がもどりはじめた。
世間では色々言われていたが、複雑な理由で、コロナウィルスの新規感染者数が減り始めた。ようやく県をまたいで移動しても良いムードになってきた。確か、梅雨があけるかどうかという時期だったように思う。
その頃、私が通っていた訓練校で各会社の説明会が実施されるということを聞き、受けられない会社もありつつ未曾有のパンデミックの最中、航空会社は何を考え、ひとの採用をどうしていこうと考えているのか知りたく、参加をすることにした。
おおよそ、会社の説明に変化はなかったが、会社にとっての根幹をなす職種であることや訓練・育成に時間がかかることを理由に継続的採用を行うということを確認し、すこし安堵したことを覚えている。
ただ、どうしても行きたかった会社からは音が消えた。この就職活動を通して、どうしても腑に落ちないことがあるとするならそれだ。一度はテストセンターまで行き、受検をしたものの面接もSIMチェックもないまま採用が凍結し、その採用開始の案内から6ヵ月して「エントリーは破棄となった」と言われた。
怒りとか、憤りとか、そんなものはなかった。ただ自分の描いていた未来が刻一刻と現実からは乖離し、剥がれおちていくのが見て取れた。こういった事実のひとつひとつが心を蝕んでいくことを感じていた。
コロナウィルスは、熱が出たとか、インフルと比べて致死率が高いとか。そういうのが怖いんじゃなくて、実際に人間に与えるどことない絶望感と変化しつづける現実に嫌気が差し、精神的ストレスが大きいところが怖いのかもしれない。
機会と敗北
9月中。運良く、一社。私達のために採用をしてくれるということになり受検したが敗北を期した。恐らく理由はSIMのチェック中に良くないことをしたからだろう。いくつか見当があるものの明確な理由は今でも分からない。だから記憶にある改善点は次の試験で活かすべきポイントとして前向きに捉えることにした。
それでも「期待にそぐわない結果となった」と告げられたことにショックと絶望を覚えて現実って何なのだろうか、と感じるようになっていった。
しばらくチャンスがなく、11月。某社の受検。これは訓練校向けではなく、公募だった。公募というのは誰にでもチャンスが開かれている。そのため、倍率が高く通りにくい。
この試験ではESで落選。
冬にかけて、過去に受検歴のある会社一社を受けて良いと告げられそのチャンスを掴むべく、準備をしたがこれもESで落選。合格実績のある人間からのサポート、添削。各種のサポートを利用して納得のいくESを書いたはずが落選。
そんな風に2020年は終焉を迎えた。
私は心底恨んだ。2020年はオリンピックがある、過去最高の訪日外国人を迎える。各社増便計画を出し、この2020年を期に成長期とする。そんな中期レポートを以前に読み漁ってたのに、現実はこれだった。
「X月X日に発行した中期計画は白紙とする」
「過去最悪の2000億円の赤字」
「初期計画に対して運航率20%」
「追加減便」
「一部職種を除いて、2021年度新卒採用中止」
「ボーイング社、ワシントン工場の月間新造機は1機」
現実は常に変化する。前にも9.11があり、リーマンがあった。2000年代に入ってしきりに言われるようになった。
「10年に一度は何かしらのイベントリスクがある。」
当然、自分が自分自身をコントロールできて、能力を発揮し、人事部門担当者と現場で判断する機長が「おお!」と思えば私は採用になっていただろう。そこに疑いはない。
だが、先が見通せない中で大手航空会社に至っては古い大型機を退役させ、燃費効率の良い中型機、小型機を囲い込んだ。勢いのあったLCCは新造機導入計画を破棄した。それどころか、オーストラリアの砂漠で一部飛行機を保管している。
確かに慢性的に人材が足りない。2030年に過去に雇った大規模の機長クラスの人員がリタイアすることに伴い、機長レベルの人材を育成していなかければいけない。一部航空会社では現在ですら現行レベルの運航便数を維持するにはひと手が足りないとまで言われている。
それでも減便をせざるを得なくなった。
そもそも見込んでたインバウンド数が0になった。
需要がなくなった。だから、増やそうとする人員計画を見直そうか...と考えるのは当然である。なので、それに伴って可能性が著しく下がりつつあることも事実として存在する。
その二面性に苦しみ、熱意を失い、情熱的でなくなり、自分のやりたいことにさまよう。そもそも、やりたいことなんて、あったんだっけ。
そうまでして、航空業界にしがみついてる自分。
そうまでする意味って、なんなんだろう。
2020年、私は灰色で出来た世界を眺めていたようだった。
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